【第244回】 頭と胴体

人間の体は、胴体に手と足そして頭がついている。体の肉体的中枢である胴体に、手足と頭がついているということになろう。手と足と頭は体の末端ということになる。

合気道の技は手で掛けるが、技が上手くかかるためには、末端にある手と胴体の力の源である腰腹をむすんで遣われなければならない。また、末端の足も同様に腰腹と結んで遣われなければならない。足を腰腹と結ばないで遣えば、胴体と手と足がばらばらになってしまうし、地からの力が胴体を通して手先に伝わらないことになる。

もうひとつの体の末端である頭も、手足と同じように腰腹とむすんで遣われなければならないことになるが、これが意外と難しいもののようである。

その難しい理由は、一つは、胴体(腰腹)と最もむすびやすいのは、まず手であり、次が足であり、そして最後が頭という順序になるようだからである。従って手と腰腹をむすぶことができなければ、足もばらばらに遣ってしまうはずだから、頭と腰腹をむすびつけるという気持ちも起こらないだろう。頭は胴体(腰腹)とむすぶことのできる最後の末端であるからである。

二つ目は、顔には目があるからといえよう。恐怖心や好奇心などから、目で相手を見たり、相手が掴んでいる箇所、相手の武器などを見てしまうので、体が変化しているのに顔が残ってしまい、腰腹と顔が平面上で動かず、顔と腰腹の面がねじれてしまうのである。
開祖の演武されている写真を拝見すると、どんな場合でも顔と腰腹が決してねじれず面で遣われている。

三つ目は、重い頭を細い首で支えられているが、頭はけっこう自由に動けてしまうので、かえって腰腹とむすびつけるのが難しいのであろう。

かつては首投げや首をひねって投げたり、髪の毛をつかまれた攻撃から技をかける稽古などをしていたものだ。それで、頭を遣い、首を鍛え、頭と腰腹をむすぶ稽古になっていたが、今はほとんど稽古されていない。首は繊細なので危険であるからだろう。

頭や首を遣った稽古をしていたときは、頭を上手く遣わなければならないことを無意識のうちに分かっていただろうが、その稽古がないとなれば、頭を遣うことを意識して稽古に取り入れていかなければならないだろう。

ではどのように頭の稽古をすればいいかということになるが、まず、頭を上手く遣わないと技が上手くきまらないことに気がつかなければならない。
上手く遣うということには、一つは、腰腹と頭をむすび、両者が一軸となり、しかも頭を先に動かすのではなく、腰腹の先導で頭が動くようにするのである。
頭と腰腹をむすぶためには、まず首が強靭でそして柔軟になるように鍛えなければならない。それには、受身をしっかりとるのがよいだろう。頭を打たないよう、あごを引いて受身をとれば、首が鍛えられるし、頭と腹がむすんでくる。

二つ目は、顔と腹がひとつの面になり、捻じらないで動くことである。例えば、入り身転換で体をしっかり捌いて、頭を体とむすんで一緒に動くことである。しかしこれは容易ではない。何故ならば、人は日常生活において歩く時、顔と足腰(体幹)を捻じって遣っている。顔は前を見ているが、体を捻ったり、または、体は前に向いているのに顔を横を向けたりしている。稽古で技を掛ける時もこの習慣でやりがちなのである。

三つ目は、相手や自分の手などを目で見てしまうことである。目で何かを見ると、そこで気持ちと動きが止まってしまい顔がそこに居着いてしまい、腰腹だけが別な角度に動いてしまう。目は開いていても、見て見ないよう、つまり見る何ものにもとらわれないような見方をしなければならない。

基本技で中々上手くいかない技に、一教と入り身投げの裏があるが、上手くいかない大きな理由は顔と胴体が平面で遣われないことにあると思う。