【第244回】 神業を生ずる

合気道は技の練磨を通して、宇宙と一体化すべく精進するものであると教わっている。そして以前にも書いているように、「技」とは技の型だけではなく、宇宙の法則や条理に則った技要素であり、開祖がいわれているところの「技を生み出す仕組みの要素」ということになるだろう。つまり、「技」は多くの技要素で構成されているということになる。

技要素は宇宙の営みであるわけだから、そのひとつひとつの技要素は宇宙の営みと一致していることになる。合気道は宇宙の営みを身につける道ということでもある。つまり合気の道は「宇宙の道」であるとも言われるのである。(『合気真髄』)

この宇宙の営みを開祖は神業といわれているようだ。そして合気の鍛錬は神業の鍛錬であるともいわれている。神業の鍛錬をし、それを実践していけば宇宙の力が加わり、宇宙そのものに一致するといわれるのである。(同上)

神業とは超人間的な技であり、業ということにもなる。人間を相手にしていたり、人間がつくったものを相手にしていたのでは、人間わざを超越した「神業」は身につかないはずである。

人間が考える技や術ではなく、天地の教えに則って鍛錬しなければ、「神技」にはなるかもしれないが「神業」にはならない。神様はテクニックや術などの小賢しいことなどやらないだろう。
神業は宇宙完成を目指し、生成化育するところの真理に満ちた働きの「業」であるはずである。
合気の道も真理の道であり、合気道の鍛錬は真理の鍛錬であり、真理の鍛錬によって神業が生じると、開祖は言われている。(同上) 真理とは、宇宙の営み、宇宙の法則、宇宙の条理ということだろう。

合気道の技の練磨では、「神業」を生じるように真理の鍛錬をしていかなければならないということになろう。