【第241回】 今は大事だが、大事ではない

合気道は技の鍛錬を通して精進するので、稽古や鍛錬はその瞬間々々に精魂をこめて一生懸命にやらなければならない。つまり、その一瞬一瞬の今を大事にしなければならない。気を抜いた稽古をしたり、横着な稽古をしていては、得るものはないだろうし、精進にもならず、明日にもつながらないことになる。

今の瞬間を大事にして一所懸命稽古しなければ、精進、上達はないが、一所懸命やったからといって、技がうまく遣えたり、相手をうまく制することができるとはかぎらない。うまくいかない場合があるというより、うまくいかないのが普通で、自然なことである。

技を練磨していてうまくいくのは、多くの場合、相手が逆らわずに受けを取ってくれているか、または相手がよほど非力であるからだといえよう。その証拠に、非力の相手でも少し頑張られれば、技は思うように遣えないし、自由に動けなくなるものである。

技は容易に掛かるものと思わず、容易に掛かるものではないと考えて、技を遣わなければならないだろう。

相手に技が掛からないのは愉快なことではないが、有難いことであると感謝すべきであろう。そのやり方、技の遣い方、体の遣い方ではうまくいかないということを、教えてくれるからである。もちろん、その教えを分かろうとしなければ分からない。技が効かないといって、力んだり、引っ張ったり、押したりして、何としても倒さなければと力づくでやれば、効かない原因も解決策を見つけることもできないし、また争わない合気の道に反することになって、稽古の意味がなくなってしまう。

姿勢を崩さず、手を折り曲げないで腰腹にむすび、体幹の力を手先に伝え、腰腹で手足を操作しながら、技の形に注意して、一所懸命に技を掛けていくのであれば、相手が崩れたり、倒れなくとも仕方がないし、それでもよい。なぜならば、力不足で相手は倒れないのは事実であるし、もっと力をつけなければならないのも事実である。しかし、今はできないのであるからしょうがない。

今はできなくとも、また弱くとも、正しい姿勢、体遣いでの稽古を続けていけば、いつかは力がつき、いつかは上手な技がつかえるようになるはずである。これが大事なことである。いつかできることを信じ、できないことに焦らず我慢して、稽古をしていくことである。

スポーツは今だけが大事であり、今がすべてであるといえよう。前も後もない。今、勝たなければ意味がない。前には勝ったことがあるとか、今度は勝つというのは意味がない。

合気道も今を大事にして稽古しなければならないが、今、できなくとも仕方がない。いずれできればよい。もちろん漠然とした稽古を続けていても、できるようにはならないだろう。今の失敗から学び、その解決を試行錯誤しながら、未来に続く稽古をしていかなければならないだろう。今は大事だが、すべてではない、ということである。

いつかできるようになると信じて、焦らずに明日につながる稽古を続けることが大切であろう。