【第24回】 俺の先生

稽古事はどんなに才能があり努力しても、一人でできることは限られる。武術や武道だけではなく、音楽や踊りの世界でも、世に名を残した人はいい先生にめぐり合っている。
世の中に先生という人は沢山いる。幼稚園、小学校、中学校、高校、大学とおおぜいの先生がいたし、病院や歯医者の先生にもお世話になった。特に、最近は政治家も、弁護士、会計士など誰にでも先生と呼ぶ傾向があるようだ。先生方からは知識をもらい、サービスを提供してもらったが、すでに忘却の彼方にいってしまった。

しかしながら、私には"本当の先生"が二人いた。一人は開祖、もう一人は故有川定輝師範である。開祖のつくられた合気道からは人生哲学を学んだだけではなく、合気道のお陰で海外でも日本でも多くの友人ができたし、結婚相手も得たし、充実した海外生活も送れた。さらに自分にぴったりあった仕事も見つけられ、楽しい毎日を過ごすことができている。もしも開祖や合気道と出会わなければ、私の人生はぜんぜん違っていたはずである。勿論、それ以来ずっと開祖を目標にし、日々研鑽させて頂いている。開祖とは、まさに我々が当時呼んでいた「大先生」なのである。

二人目は有川師範である。本部道場に入門以来ずっと、海外にいる時以外は師範の時間にほとんど出ていた。師範はあまり説明をされず、我々も基本を黙々とやるだけであった。

ある時、諸手取り呼吸法の稽古をしていると、珍しく師範が回ってこられて、「そんなことをしていると呼吸力がつかねえぞ」と言って行かれた。私が諸手取り呼吸法で体当たりして相手をふっとばして満足していたのをご覧になっていて、注意に来られたのである。その時は、相手がふっ飛んでいるんだから、どうしてこれが悪いんだと一瞬反発したが、普段はそんなことを言わない師範なので、稽古が終わってからよく考えてみた。そして、確かに相手をふっとばすことだけをやっていたのでは、しっかりした腕もできないし、呼吸力もつかないなと分かってきた。この一言以来、諸手取り呼吸法だけでなく、他の呼吸法や技、動きが変わってきたのである。

師範は、「技は諸手取り呼吸法ができる程度にしかできない」と言われていたこともあって、その後は、この呼吸法を大切に、つまり呼吸力がつくような稽古法に変えることができたのである。もし、師範のこの一言がなければ、相手をやっつけて喜んでいる稽古を続けるか、行き詰って合気道をやめていたことだろう。

師範にはもう一言、大事なことばを頂いている。「あっという間に年を取るぞ」である。私が50代半ばの頃だったと思うが、師範の時間に若い相手とガチャガチャ稽古していたとき、師範が回って来られて、言って行ったのである。当時はまだ若者のつもりでいたし、その若さがずっと続くように思っていたのであろう。これも一瞬反抗心が起こったものの、冷静に考えて、確かに稽古が出来るのはもうそんなに長くはないと分かった。それで、ひと技ひと技に気を入れて大事に稽古をし、一日一日を一生懸命生きなければならないと決心した次第である。この注意がなかったらと思うと冷や汗ものである。師範には感謝しているし、俺の本当の先生であった。

つまり、俺の先生とは、自分の生き方、考え方、やり方に大きい影響を与えてくれた人であり、自分の生き方、考え方、やり方を軌道修正して、王道に導いてくれた人でもある。

合気道や稽古事の上達の必要要素は、努力と能力と運である。運のなかで最も大切なものに「いい先生」との出会いがある。