【第238回】 高齢者の稽古

高齢者の定義は難しい。高齢者という客観的なデータもないし、主観的なものだけでもないだろう。人によっては、高齢になっても若々しい人もいるし、また、自分は若いと思っていたり、思おうとする人たちがいる一方、若者でも高齢者と見えるような若年寄もいる。

年齢で何歳以上が高齢者と決めることはできないが、武道的にはある程度の年齢になって物事が少しわかってきたし、そろそろ自分も昔のように若くはないんだなと思うころが、高齢者といっていいのではないだろうか。武道では50,60歳はまだまだ物事がわからない鼻ったれ小僧といわれるので、70歳ぐらいからが高齢者の領分だろうと、今は考える。

合気道は技の練磨で精進する道であるから、高齢になってもこの道を進むことになる。そして、その道を進んでいるかどうかの目安のひとつは、相対稽古の相手に技がうまく効いているかどうかになるだろう。

技が効くためには、心と体ができていることと、それを統一して上手に遣うことである。もう少し具体的にいうと、技は体力、心の精神力、呼吸力、技要因で掛けるので、これらの4要素を掛け合わせたものが大きければ大きいほど、うまく掛かることになるだろう。

高齢者になると、力が落ちてくる者と、落ちないでますます力を付けられる者がある。人によって違うし、落ちたり上がったりする程度も違うだろう。4つの要素のひとつひとつの部分においても、ある部分は落ちるかもしれないが、他の部分はどんどん上昇指向するものもあるのではないか。例えば体力であるが、一般的、そして全般的には、高齢になればなるほど体力は落ちることだろう。若いときのように稽古を朝晩やるとか、何時間もやるとか、20分も30分も続けて受けをとることはできなくなる。しかし、一瞬に力を集中するような瞬発力は、若いときよりあるのではないだろうか。

精神力などは年を取れば取るほど強くなるだろうし、年齢とは関係なく修行できるので、高齢者の方が有利だろう。

呼吸力も、肉体的、物質面でみれば高齢になれば衰えるかもしれないが、長年の修行の知恵により、無駄のない呼吸ができるようになれば、そのデメリットをカバーする以上の力がでると思う。若者にはこの呼吸の力である呼吸力を身につけるのが難しいことを見てもわかるだろう。若者の場合は、腕力が呼吸力を邪魔しているといえよう。呼吸力はある程度、年を取ってこないと難しいようだ。

技要因は年を取ればとるほどそれだけ沢山身につくわけだから、高齢ということはよいことだし、ある程度の高齢にならないと、身につけるべき技要因が蓄積されないことになる。高齢になれば、明日、来年、5年後にどれだけの技要因を発見し身につけることができるのか、楽しみになるはずである。

高齢者の稽古は、体にも心にも衰えの心配などしないで、年を取ることを楽しみにしながら稽古をしていくことであろう。