【第238回】 手先と腰腹を結ぶ

合気道の稽古は、道場での相対稽古が基本である。片方が技を掛け、もう片方が受けを取るのを、交互に繰り返していくのである。道場で稽古する技は、正面打ち一教とか片手取り四方投げなどと、指導者が示しているので、取りと受けの両者はお互いに稽古する技の形が分かっているわけである。これはありがたい面もあるが、苦労する面もある。

ありがたい面は、例えば、技の形をまだよく身につけていない初心者はどう動いてよいのか分からなかったり、間違った方向に動いたりしてしまう場合に、受けが正しい動きに導いてやれることである。口で説明するのではなく、動きで導いてやるのである。

苦労する面としては、受け側もやる技の形や動きを知っているので、技を掛けて収めるまでに、ちょっとしたことでがんばったり、先の動きを封じることがしやすいことである。だからお互いががんばり合いの稽古をすると、うまく技はきまらないことになる。

だが、これが上級者にはよい稽古になる。形を知っている相手がこちらの動きを阻止してくることも多々あるが、その阻止に負けないようにしなければならないからである。これは、技を知らない相手を阻止するよりも大変なはずである。

稽古では、実際に力一杯に掴ませたり打たせたりすると、なかなか思うように技をかけられないものである。相手もある程度稽古をして、技を覚え、力もついているわけだから、劇画のようにヒョイヒョイと技を掛けるわけにはいかない。だから、理に合った身体の遣い方とそのための体をつくらなければならない。

理に合った身体というのは、例えば、手首を片手でしっかりつかませた場合では、こちらのつかまれた手も相手のつかんだ手も、お互い一本であるから、五分と五分ということになる。横綱白鵬のような腕なら、腕を振りまわすだけで相手は吹っ飛んでしまうだろうが、われわれのような腕ではそうはいかない。ましてや、一本の腕に二本の腕でおさえてくる諸手取りなどは2対1であり、腕を振り回しても動かせないはずである。

しっかり持たせても、2本の腕でおさえさせても、手が自由に動き、技が遣えなければならない。それが「技」であろう。そのためには、相手の手や2本の手(諸手)より強いものを遣わなければならない。それは腰腹である。しかし相手は腰腹を抑えているのではなく、手を掴んでいるわけだから、掴ませた手が腰腹にならなければならないことになる。もちろん手が狸や忍術のように腰腹に化けるわけではない。その種明かしは、腰腹と手先をしっかり結び、腰腹の力を手先に伝え、その力を途切れないように手で遣うことである。

手先と腰腹を結ぶ要領は、片手を前に出して相手に掴ませる片手取りの稽古がいい。相手がこちらの手を掴んだら自分の手と相手の手との接点を自分の腰腹で結びつけるのである。大事なことは、接点を動かさないようにして腰腹を動かし、調子をとることである。

もし手先と腰腹が結ばない場合は、丁寧なお辞儀をするといい。日本式の丁寧なお辞儀の形にはまれば、自分の手と自分の腰腹と結ぶのと同時に、相手とも結ぶことになる。ここで相手と一体化することになり、二人は一人のごとく自由に動けることになるはずである。

手先と腰腹を結ぶために最も有効な稽古は、呼吸法であろう。片手取り呼吸法、諸手取り呼吸法、両手取り呼吸法、坐技呼吸法である。しかし手先と腰腹を結ぶことを意識して稽古をしなければ効果はない。投げることばかり考えてやると、手先と腰腹を結びの稽古にならず、呼吸法を稽古する意味が半減してしまうことになる。

技は、手と腰腹の結びが切れないように掛けていかなければならない。また、切れないためには、手を動かすのではなく腰腹を動かし、手が腰腹に従うようにしなければならない。手から動かすと、腰腹との結びが切れてしまうばかりではなく、大した力は出ないものである。

手と腰腹を結ぶ稽古は、技の練磨を通しながら学んでいくわけだが、すべての機会、例えば、稽古前の体操の際にも、手先と腰腹が結んで切れないように注意してやらなければならない。