【第237回】 山彦(やまびこ)の道

宇宙に存在するすべてのものは「波動」をもっているという。「波動」とは、辞書を見ると、「何らかの物理量の周期的変化が空間方向に伝播する現象」をいうのだそうだ。

なぜ波動ができるかというと、物質の最小単位である素粒子は、粒子であると同時に波動としての性質を持った超ミクロの弦でもあり、そして超ミクロの弦はいろいろに振動しており、それぞれが固有の波動を出しているからだという。従って、われわれはそれらの波動を耳で聞いたり、目で見たりして識別して生きていることになる。つまり、波動のおかげで生きていることにもなるわけである。

合気の道は「山彦の道」ともいわれる。開祖が「この山彦の道がわかれば合気は卒業であります。」といわれているからである。
開祖の道歌には、この山彦の道が詠われている。

この境地に立てれば、山彦の道が分かり、宇宙と一体化することになり、合気がわかり、そして合気を卒業ということになるということなのだろう。しかし、そう簡単ではなさそうである。山彦の道をわかる可能性はあるだろうが、それが必ずわかるという保証を開祖はされていないのである。われわれ後人は、その道を模索しながら、その道を踏み外さないよう、一歩一歩着実に進んでいくしかないのだろう。

山彦の道の山彦は、現代物理学においては「波動」ということだろう。また山彦であるから「共鳴」現象があるはずである。そうだとすると、はじめは身近なものから、そしてだんだんと自分から遠く離れたものとも共鳴し、最終的には宇宙との共鳴ということが、山彦の道ではないのだろうか。

合気道は技の練磨を通して山彦の道をいくわけだが、そこには幾つかの通るべき段階があるように思う。
第一の段階は、相対稽古の相手との共鳴である。相手と接して自分と相手の波動を共鳴する。これを合気するとか結ぶというのだろう。このためには、前回の『第236回 宇宙と一体化するために』に書いたように、相手を目で見ないで、感じることが大事になる。

第二段階は、相対稽古の相手と直接接しなくとも、空気の媒体を通して相手の波動と共鳴してしまい、危険を感じたり、相手の心を読んだりする段階であろう。気配を感じるとか、殺気を感じるなどはこの非接触での波動を感じることだろう。

第三段階は、道場以外での山野や屋外でも、鳥獣草木などの波動を感じ、共鳴するようになる段階である。開祖が黄金体になって、武道とは愛なりと悟られたとき、鳥のささやきの意味が理解できたというのは、鳥との波動の共鳴ということができるのではないだろうか。

第四段階は、大地、太陽、月などの無生物からの波動を感じ、共鳴するようになる段階である。開祖が朝晩、祈っておられたのはこのためではなかったかと考える。

第五段階は、宇宙の波動を感じ、宇宙にあるすべてのものに共鳴できるようになる段階で、これで山彦の道がわかり、合気を卒業ということになるのではないだろうか。開祖は、宇宙がその腹中にあり、「我は即ち宇宙」といわれていたが、宇宙の波動に共鳴されていたということではないだろうか。

開祖は山彦の道を卒業されたわけであるが、開祖の摩訶不思議な話やエピソードから、そこに至るまでには、これらの段階でその波動を感じ、共鳴を経験されたのだろうと考える。

山彦の道がわかり、合気道を卒業するには、開祖が進まれたと思われる、この五段階を一つ一つ進んでいくしかないのではないかと考えている。