【第233回】 習慣化

何事もそうだが、習い事や何か新しくはじめるにあたっても、やるかどうか迷ったり、やらなくてもよい理由を考えたりして、すんなりとはやらないものだ。今では考えられないが、私も合気道の稽古をはじめたときは、稽古に行くかどうか迷ったり、理由を探して休んだことが何回かあったように思う。

稽古に慣れてくると、迷ったり、考えたりしないでも、道場に自然に足が向くようになる。そして道場に行くのが楽しみや喜びになり、稽古に行くのが待ちどおしくなる。そうなると稽古をしないでいられなくなり、稽古をしないと後悔するようになる。稽古が習慣化したのである。

習慣化することは、自分の生活の一部となり、もはや生活と切り離せなくなることである。だから、食事をするように、自然に続けていけるようになる。

合気道の稽古もそうだが、何かを身につけようと思えば、はじめは大変だと思っても、続けてやらなければならない。例えば、体を鍛えたり、得物の操作を覚えるためには、自主稽古をする必要があるが、はじめの内は、張り切ってやるものが、理由をつけて休んだりするものだ。

自主稽古などは毎日やらなければ意味がないはずだから、自主稽古はなるべく早急に習慣化しなければならないことになる。

稽古をなぜ、習慣化しなければならないかというと、一つには、毎日、少しずつ発展しているであろう鍛えるべき体の発展を、一時的にしろ停止してしまえば、今日の稽古を期待していた体の期待を裏切ることになるからである。体の失望によって、筋肉や関節の柔軟性、体を感ずる感覚、息遣いなどなどが後退することになる。

二つ目は、習慣化してやれば、自分自身の心身のコンディションが分かるからである。今日のコンディションと、調子のいい日や悪い日などと比べることができるし、どうすればよいコンディションになることができるのかわかってくるはずである。毎日の心身のコンディションは知っていなければならないだろう。

三つ目は、習慣化すれば、進歩、上達を期待できるからである。なぜなら、同じ事を毎日やっていれば、人は本能的によりよくしようとするからである。それまでうまくいったことは取り入れ、うまく行かなかったことはやらないようにする。人には、宇宙生成化育と同じ、上昇志向が備わっているように思える。もちろん間違ったやり方をすれば、その逆の結果となるし、体を壊したりする。間違わないためには、道にのった稽古を習慣化しなければならない。