【第231回】 手は十字でしっかりと

合気道は、「合気之道」である。最終的には宇宙と一体化、つまり合気する修練法と言えよう。それ故、合気道は引力の養成とも言われる。相対稽古の技の練磨を通して、引力の養成をするのである。まずは相対稽古の相手と引力で結ぶことから、最終的には、開祖のように宇宙と結ぼうというのである。

相対稽古の相手とも結べなければ、その先のものとも、そして宇宙などとも結ぶことは出来ないことになる。まずは、身近な稽古相手と結ぶことからはじめなければならない。

合気道の稽古では、いろいろな「取り」(攻撃法)がある。打つ(正面打ち、横面打ち)、突く、手取り(片手、両手、諸手、後ろ両手)等などあるが、いずれの取りであっても、相手と触れた瞬間から相手が倒れるまで、相手をくっつけておかなければならないと考える。例え相手が打ってこようが、突いてこようが、触れた瞬間からくっつけてしまうのである。打たれたり、突かれたりした場合は、接するのは一瞬であるので、相手とくっつき一体化するのは容易でないだろうが、くっついて相手と一体とならなければ合気とならず、合気之道ではなくなってしまうはずだ。

相手とくっつき、一体化するために、合気道では相手に手を取らせる「手取り」の稽古法がある。その中でも逆半身での片手取りが最もポピュラーだろう。四方投げ、一教から三教、入り身投げ、小手返し、回転投げ、呼吸投げなどは、誰でも最も多く稽古しているのではないだろうか。

この片手取りの「手取り」が好まれて沢山稽古されるのには、稽古人はそこに何か大事なものがあると感じているからだと思う。
その大事なものは、結びであり、引力であるはずだ。しかし、それがなかなか意識できないようであるし、相手と結び、相手をくっつけて、相手と一体化するのもまた難しいものである。

相手に手を取らせて、相手と結び、相手をくっつけて、相手と一体化するためには、いろいろな条件(技要因)があるが、そのひとつに、持たせた手を、しっかり十字で反して遣うということがある。

合気道では、手は手刀として遣えと教わっている。折れ曲がったりしてなまくらな手刀になったり、刃筋が通らない遣い方をしてはならないし、いつでも相手を手刀で制し、切れるようにしておかなければならない。
その上で、相手に持たせた手(手刀)は、十字々々に、それもしっかりと反して遣わなければならない。

例えば、右手右足前の逆半身での「片手取り呼吸法」を見てみると、先ず相手に持たせる手の平は床に対して直角の垂直である。これは剣を持った時の手と同じである。右足から左足に体重が移動しながら手の平は上向きに反り、左足に体重が完全にのったとき、その手の平は完全に床と水平になる。そして左足から体重が右足へ移動しながら手の平を直角に反していき、直角になったところで重心を右足へ移動するが、手は直角から一教運動の要領で手の平が正面を向くよう90度反しながら上に上げ、そこから右足に体重を移動しながら手刀で相手の首を切り落とすように刃筋を立てて切り下ろすと、相手を弾いたり、相手の持つ手が離れたりしないで、相手を最後までくっつけておくことが出来る。

相手が手を途中で離してしまうのは、持たせる手の角度、正しい方向への反し、しっかりした反しがないためである。

この呼吸法で、手刀を十字でしっかりと反していくと、相手にしっかり手を持たせなくとも、相手の手や腕に一寸触っているだけでも、相手をくっつけて、一体化し、倒すことが出来るようになるはずである。このことからも、手は十字でしっかり遣わなければならないことが分かるはずである。
合気道のすべての技は、十字でしっかり遣わなければならないのである。