【第228回】 技と道と神

合気道は、技を練磨して精進する道である。合気道の技は、宇宙の営みを形にしたものであるので、宇宙法則に則ったものである。この宇宙法則に則った技の練磨をすることが、道にのっているということになり、自己流などその他の技は、道の外にある外道とか邪道ということになる。

従って、道とは、真の合気の技を極めていくということになる。宇宙の法則・条理である技要因を見つけ出し、身につけていくことである。例えば、螺旋、十字、陰陽、△○□、日月と潮の干満、ひびき等などであろう。

宇宙は無限であるので、技要因は無限にあるはずであり、限りがないので、少しでも多くそれを見つけ、身につけることしか出来ない。すべてを身につけることは、人には出来ないことを知りながら求めていくのだから、悲しい宿命だが、そこにロマンがあると言えよう。

技を完全には究めることは出来ないわけだが、技を究めていくことによって普遍的なものが見えて来るようになるという。有川定輝師範によれば、「普遍的なものというのは真理ですから。真理というのは神ですね。ある意味では。」(『植芝盛平と合気道U』(合気ニュース)ということである。

それ故、技を究めることによって神につながることになり、技と道と神はイコールとなるわけである。そうすると神は意外と身近にいるかもしれない。とりわけ合気道では、神を見るのは難しくないかもしれない。なぜならば、神に接しようと思えば、合気の道から外れないようにしながら技を究めていけばよいからである。