【第226回】 宇宙を相手に

合気道の稽古は国籍を問わず、老若男女、年配者も子供も誰でもできる。間口は広い。しかし、合気道を会得していく人はその割にそう多くないから、出口は狭いといえるだろう。

ということは、沢山のひとが入門して、どんどん止めて行くということである。見ていると、30年稽古を続けるひとは、100人に一人もいないのではないだろうか。30年で100人の内99人が死んでしまうわけではないだろうから、ただ稽古を止めてしまって他のことをやったり、何もしなくなったということだろう。

合気道は魅力があるし、実際、素晴らしいものを教えてくれる。合気道ほど宇宙のこと、人体のこと、自分自身のことなど教え、導いてくれるものはないだろう。それなのに、合気道の稽古を途中で止めてしまうのは大変惜しいことである。

入門するときは、合気道には何か素晴らしいものがあると、本能的にその何かに惹きつけられて入門するのだろうが、それを見つけられずに止めていくわけで、残念に思う。

せっかく縁あって始めた合気道を止めてしまうのはどうしてなのか、そして、途中で止めずに出口まで稽古を続けられるためにはどうすればよいのかを、考えてみたい。

魅力のあるものを途中でやめるということは、その魅力を見つけることができなかったか、身につかなかったということであろう。別の言葉でいえば、合気道という道にのれなかったわけである。なぜのれなかったかというと、稽古の対象と内容を間違ったからであると考える。

初心者の頃は、技の型をなぞる稽古をしているわけだが、それができると技ができたと思ってしまうものである。それを続けていくと、まだ技がないのに、強い相手と稽古をしたりすると、力に頼る他なくなる。確かに技の型の稽古でも、稽古を続けていけば力はつく。力の弱い相手や下のものなら、制することができるようになってくる。しかしその内に、だんだん相手にその技の型が通じなくなってくるだろう。それを無理してやっていくと、体を痛めるようになる。この辺りでぼちぼち稽古の限界を感じ、そして止めていくようだ。

稽古をやめない為には、まず、「技」とは何かを考えることである。「技」は技の型ではないのである。技の型をなぞっても技にはならないし、上達もあるところで止まってしまうはずである。

二つ目は、人を相手に稽古しないことである。人だけを相手と考えて稽古をすれば、限界がくる。人を対象にして稽古をするということはどうしても、できたできない、勝った負けた、強い弱いを目的としまうので、小さな世界での稽古、それも道に外れた稽古になってしまうことになる。

それでは何を相手に稽古をすべきかというと、宇宙を相手に稽古をしなければならないはずである。合気道の技は宇宙の法則を形にしたものであるから、稽古で宇宙の法則、宇宙の条理を見つけ、そして、それを身につけていかなければならない。稽古の相手は、その法則を見つけ、身につけるための協力者ということになる。

宇宙は無限であり、無数の条理があるはずだから、稽古は無限に続くはずである。20年や30年で見つけ尽くせるものではないから、途中で止める訳にはいかないはずである。宇宙を相手に稽古をしていきたいものである。