【第221回】 真の価値と虚の価値

人は自分の価値がどれほどのものなのか、中々分からないものである。とりわけ若い内は、自分を過大評価したり、過小評価したりするからだ。
しかし、他人に対しての評価には自信があるように見える。ただその他人の評価は、その評価するひとによって同じであることもあるし、正反対の場合もある。つまり他人の評価など、天気予報や八卦のようなもので、当たりもするが外れもするということであろう。

外れる理由として、一般的に、人は自分をよく見せようとすることにあるだろう。特に、世間の名声を得て活動しているひとはその典型であろう。よく見せようという衣を世間の人は見ているわけだから、世間の人、他人にはよく見えるはずである。
しかしその人をよく知っている家族や本人自身には、それが虚であることは分かっている。だから、自分自身にも家族や親しい知人には虚飾する必要はないし、やればおかしなことになる。

虚というのも必要である。例えば、役者や俳優が虚という衣を着ないで世間に現れたら、人は夢を壊され幻滅してしまうだろう。だから、そういう人達は、他人の前では、虚の衣を着続けなければならないだろう。外に出ていれば、舞台やスタジオの外の街や飲食店や装飾店などでも、虚の仮面や衣を着ていなければならないわけで、ご苦労なことである。

我々一般人は、虚の衣を着続ける必要もない。そんなものをまとっていると、自分にそんなに能力があるとか、魅力があるとか、それほど価値がある等と錯覚してしまうことになるだろう。

若い内は、その虚の価値がその人の真の価値を高めることも大いにあるので、「背伸び」することも必要であるだろう。が、年を取ってきたら、「背伸び」は似合わないので、虚の衣を一枚づつ脱ぎ捨てて、真の自分の価値を見つける方がいいだろう。

真の自分が分からなければ、自分は何が出来、何が欠けているのかも分からないし、これから何をどうやっていっていいのかも分からないことになる。他人がつける虚の価値に惑わされずに、自分で真の価値をつけなければならない。
「虚の価値は他人がつけるもの。真の価値は自分がつけるもの。」(歴史学者・磯田道史茨城大教授)という。

参考資料: 『司馬遼太郎が考えたこと』(司馬遼太郎著)