【第217回】 光明

人は誰ひとり、ひとりで生きて行くことはできない。人はそれぞれの役割や使命を果たし合うことによって、お互いに生きていける。また、人間は人間だけで生きて行くこともできない。地球上の動植物、鉱物、などのお陰で生きることができるのだ。お日様の光や空気や水がなければ、どんなに金持ちでも、体力に自信があっても、生きて行くことはできない。自分ひとりだけでは何もできないのである。他人や自然や宇宙に助けられていることになる。

合気道の技は摩訶不思議と思われるようでなければ、相手もそして自分自身も心から納得させることはできないだろう。人間の物理的な力による技遣いでは、納得できないはずである。なぜならば、合気道を志す人達は、人間を超越したものがあるはずだと信じているはずだし、それを求めて稽古をしているはずであるからである。

開祖がいわれている「光明」を求めているともいえるだろう。光明とは、辞書によれば、仏の身から出る徳の光、くらやみを照らし出す明るい光である。合気道はこの「光明」に神習っていかなければならないという。

開祖によれば、光明というのは天国及び天人そのものであって、この「光明」は天から与えられるものであるといわれる。しかし、「光明」が天から与えられるためには、世界が日月の気と、天の呼吸と地の呼吸、潮の干満、そして澄み切った玉で浄化され、そして和合しているということがわからなければならない。それが分かれば、天から与えられる「光明」を感得できるはずだと、開祖はいわれているのである。つまり、自分や人間だけに頼らずに、自然や宇宙の力を信じ、それを遣わせてもらいなさいということだろう。

合気道は武であり、武は悪を改心させるものでもあるが、この「光明」で「ああ、なんて素晴らしいもの、有難いもの」と悪を改心させるということであるという。これが摩訶不思議ということにもなろう。

合気道の技の稽古から「光明」を授かるためには、自分の小さな力だけに頼らずに、太陽と月の気、天の呼吸と地の呼吸(「第216回天と地の呼吸」参照)、潮の干満、澄み切った玉(空の気と真空の気)の力をお借りして、技を遣わなければならないということになるだろう。

参考文献  『合気真髄』