【第211回】 疲労

高齢者になって、若いときより注意しなければならないことは、身体を大事にすることであろう。身体を大事に使い、養生することである。
若いころは、そんな心配はしなかったものだ。怪我をしようが、痛かろうが、熱が出ようが、余り気にしなかった。食べ物も飲み物もあまり考えては取っていなかったようだ。稽古さえしていれば、熱も痛みも取れてしまい、体調もよくなると思っていた。

60,70歳になってくると、身体が違ってきていることに気がついてくるようだ。若い時分、時間があった頃は、稽古を毎日、何時間もやり、筋肉や関節に痛みがあっても、疲労などはあまり感じなかった。だが、60,70歳になると、稽古に疲労が残るようになってくる。

スポーツを短期決戦の短距離とすれば、合気道は永遠の彼方にある目標に向かって走るマラソンといえよう。それ故、合気道は怪我のないよう、疲れないよう、そして疲労を残さないように稽古し、少しでも長く走り続けなければならないことになる。途中で病気になったり、怪我をしたり、疲労してしまえば、レースを続けるのは難しくなる。特に、高齢になればなるほど、再起するのが難しくなるだろう。

病気と怪我は、自分の意志でなかなか思うように防いだり、排除できないが、疲労の問題は注意すればある程度コントロールできると思うので、ここでは疲労について考えてみたい。

体は、自分の生命を維持したり、健康を保つために、必要に応じてアラームを発する。それが生体の3大アラームといわれる、疲労と痛みと発熱の3つであり、疲労はその一つである。

つまり、疲労とは、体が疲れているから疲れを取りなさい、というアラームであり、この疲労を取らないと健康を害したり、生命が危なくなりますよ、というメッセージなのである。

疲労の原因は、合気道の稽古によるものだけではないが、ここでは仕事や家庭などからくるものは考慮にいれないことにする。稽古による疲労は、稽古からくるものと、稽古の後に残るものに分けられるだろう。

稽古中に疲れたと思うのは、息があがって息苦しくなったり、体が思うように動かなくなったり、筋肉が痙攣したり、手足や体が重くなったとき等だろう。これらの疲労の原因は、肺や筋肉のエネルギーの枯渇である。呼吸が乱れたりしてくると酸素が不足してきて、筋や体内のグリコーゲンの分解が鈍くなり、筋肉の活動が低下するというものである。

次に、稽古が終っても疲れを感じるのは、疲労物質の蓄積による疲労である。乳酸などの疲労物質が蓄積して筋運動が出来なくなるのである。筋肉中に溜まっている乳酸を除去しなければならないことになる。

次回はこの続きとして、「疲労回復」について書く予定である。