【第21回】 発見々々

道場の稽古でも、一人稽古でも何か一つでも新しい発見がないと淋しいものだ。何の発見も無いときは、稽古をやったという充実感がわかないのである。 新しい発見の積み重ねが進歩に繋がるし、発見しようという姿勢が稽古をより真剣なものにする。

一時間の稽古で何も新しい発見がなければ、明日も、一年後も新しい発見はなく、今日とおなじ状態でしかないということになる。新しい発見があれば、明日も、一年後もあるだろうから、積み重なった多くの発見で、大いなる進歩がありうる。
稽古とは、古(いにしえ)を見て、そして未来を見るために、新しい発見をすることであろう。

日常生活でも毎日、何か新しい発見ができればいい。家の中、街の中、本の中、自然の中などからも発見はできるだろう。
いつも同じ話をしたり、聞いたりするのはつまらないものだ。人は新しい発見の話を聞きたいのである。同じ話で、新しい発見がない人の話は聞きたがらないだろう。人とコミュニケーションをとるためにも、発見は大事である。

発見は問題意識をもっていれば発見しやすいものだ。例えば、稽古で上手くいかなければ、その問題点を徹底的に追求すべきである。その問題点に気が付かなかったり、無視すれば、同じ失敗を繰り返すだけでなく、この領域の進歩はそこで止まってしまう。問題が意識できたら、そのソリューションのために思考し、考えてみたことを道場で試す。このようなことを繰り返すうちに、ある時その問題解決のための発見があるわけである。この自らの発見はうれしいだけでなく、何ものにも変えがたい貴重なものとなる。

明日も新しい発見があると思えば、稽古も人生も楽しいものになるのではないだろうか。これが長生きの秘訣でもあるだろう。