【第208回】 型にはめ込む

合気道の修行の目的は、合気道の形を覚えることではないといわれる。だからなのか、形に関してはあまり厳格な教え方はされてこなかったし、人が違えば技の形も違っているようである。

合気道の技は、宇宙の営みを形にしたものであるといわれる。宇宙は生成化育しながら、宇宙楽園を目指しているともいわれるので、その目的のために法則があるはずである。それを、自然ともいうのだろう。それは、無駄がなく、美しく、正しく、強く、説得力があるはずである。その宇宙の法則に則った絵画は名画であり、音楽は名曲といい、武道を合気道というのだろう。

合気道の技は、宇宙の営みが形になったものであるのだから、合気道の技を通して宇宙が分かることになる。ということは、技は宇宙の法則に則ったものでなければならないということになろう。

宇宙の法則であるから、合気道の法則は合気道だけではなく、他の武道でも、芸能でも当てはまるものであるはずだ。宇宙の法則に則った開祖の技遣いや体遣いは、他の武芸者はいうに及ばず、宗教家、花柳界など異分野の人達にも感銘を与え、多くの人たちが教えを乞いに来たわけである。

合気道は技の練磨を通して精進していくが、この技には宇宙の法則に則った形があるはずである。例えば、陰陽、螺旋、巡り等である。これを技にすると、足は左右交互に進める。手と足は連動して動く。地の足側の手は地に、天の足側の手は天に(つまり、地の足側の手は上へ上げてはならない)。息は十字に円く遣う。吸う息は円く、吐く息は四角に等となるのだろう。合気道の基本技はとりわけこれらのことを身につけやすいようにできているといえよう。

一教〜三教、四方投げ、入り身投げ、天地投げ等の基本技を繰り返し々々稽古をして、宇宙法則を見つけ、それを自分の技に取り込み、自分の形をつくっていくのがよいだろう。形であるから、何時やっても、誰とやっても、同じ形でなければならない。もちろん、時として修正は必要になるだろう。否、削ったり付加する修正は、必ず修行の最後まで必要なはずである。

自分の基本技がどの程度できているのかを知る一つの目安は、どれだけその技の形ができているかということにもなろう。形が崩れていたのでは、その技はまだ出来ているとはいえない。また、技が上手く掛からない場合も、自分の形に原因があるはずだ。それがよくなれば、技はそれだけ効くようになるはずである。 形は自分にも見えるわけだから、形から自分の技遣いを直し、改善していくのがよいだろう。

基本技で自分の形が出来てきたと思えたら、いわゆる応用技をやってみればよい。形が出来ていれば、初めての技でも、その形にはめ込んでやればできるはずであるし、出来なければならない。応用技とは、言うなれば基本技を組み合わせた技であったりするし、いずれにしても基本技が基本になっているはずだから、基本技が遣えれば大概はできるはずである。もし応用技が出来ないとしたら、基本技がまだ出来ないという事だし、その中にあるはずの宇宙の法則に則った形がまだまだ不完全だということになるだろう。

合気道では形は大事でないといわれるが、それは形を覚えるのが最終目標ではなく、もっと大事な目標があるということである。
しかし、その最終目標がなんであるにしても、合気道では形を通してしか会得できないはずである。まずは、形を大事にして技を練り、形に自分をはめ込んでいき、自分の形をつくり、最終目標を達成したいものである。