【第205回】 食と水

動物は、衣(い)は自前だし、住も自然に備わっているものを活用すればいいので心配いらないだろうが、食だけは絶対に不可欠である。人が生きるためには、衣食住が必要となる。行者や世捨て人になれば衣住は必要ないかもしれないが、やはり食は絶対に必要であろう。生きるためには、すべての生き物は食べなければならないのである。

今の日本や先進国は、好きなものを好きなだけ食べることができるようになった。まことに有難いことだが、反面、食べる事の有難さや重要性を意識しなくなってしまったようだ。かっては食べることが出来なくて病気になったり、死んでしまうこともあった。今では食べ過ぎることによって、病気になったり、死を早めてしまうようになってしまった。おかしなことである。

子供の頃や、若い頃は、好き嫌いがあったり、偏食をしがちである。また、食べたくないとか、忙しくて時間がないとかで食べないこともある。だが、若いうちは多少の出鱈目をやっても、若い体が調整してくれるものだ。しかし、年を取ってくると、それが老いの体にじわじわと影響を及ぼしてくるようだ。

武道家の先輩や、元気で頑丈そうな人が、病気になったりして若死にする原因は、自分の体への過信によるところが多いのではないだろうか。自分は多少食を抜いても、暴飲暴食しても、偏食しても、大丈夫だと思い込むことである。それが強いものの証でもあると思っているのだろう。

食べたものは体に吸収され、エネルギーになり、栄養分となる。体では五臓六腑が働き、血管に血液が流れ、目耳鼻皮膚で外界からの情報を入れ、脳で判断し指示を出し、口や手で自己主張するなど、複雑怪奇な働きをしている。これらが連携しながら、働いているのである。それらのどれか一つが働かなくなっても、体として上手く機能しないのである。

これらに働いてもらうためには、食べ物からのエネルギーや栄養分を補給しなければならない。生き物の体は基本的に、必要な栄養素は自家製造しているようであるが、必要不可欠なもので自家製造できないものもある。それは外から入れてやらなければならないことになる。意識して外から取らなければならないと一般的にいわれているものとしては、ビタミン、タンパク質、カルシュウム等であろう。

とりわけ年を取ってきたら、これらを意識して取るようにするとよいだろう。 健康ならば、自分の食べたいと思うものを食べればいい。体が必要としているからだ。体の具合が悪い場合は、体の調子を戻すために、食べたくないものも食べなければならない場合もあるだろう。

ビタミンは野菜で食べる他に、果物を食べるようにするとよい。日本は季節の果物が豊富だから、食べて楽しめる。タンパク質は肉と魚と大豆食品から取るが、このバランスを考えるとよいだろう。肉ばかりだと日本人の体(腸)には負担が掛かり過ぎるので、魚や豆腐などからもタンパク質を取るべきだろう。

カルシウムも大事である。年を取ってくると骨が細くなったり、弱くなるし、歯もガタガタになってくる。カルシウムが少なくなってくるからだろう。鳥や牛のガラを煮込んだスープを飲んだり、小魚を骨ごと食べるとよい。また、シラスを大根おろしとたべるとか、酒のつまみに煮干を食べるのもいい。翌日に稽古でもすれば、食べたカルシウムが吸収され、浮いていた歯もなんとなくしっかりするようだ。

カルシウムを体に吸収させるためには、体に加重をかけなければならないようだ。だから、カルシウムを食べて、合気道の稽古をするのがよいということになろう。
年を取ってから、もう一つ大事なものは「水」である。年を取るに従い、しなびてくるわけだから、体の水分がどんどん出て行っていることになる。これが若い時とは大きく違うという事だろう。出ていく水分に待ってくれといっても駄目で、出て行くのは仕方がないわけだから、自分で水分を補給する他はないだろう。 稽古の前後は必ず「水」を飲むことである。ここでいう「水」とは、H2Oでなくてもよく、お茶やスポーツドリンクでもよい。

のどが渇いたと感じた時は、相当な水分不足になっているという。人間の体は60〜70%が水分といわれ、1〜2%の水分が減るとのどの渇きを覚え、2〜4%不足すると脱水症状があらわれはじめ、5%減ると死に至るといわれている。のどの渇きを覚えたら、いつでもどこでもすぐに水分保有ができる態勢にしておかなければならないだろう。外に出るときや仕事に出るときは、ペットボトルに水やお茶を入れて持っていくとか、家庭では、常にポットにお茶が入っていて、いつでも飲めるようにしておくことである。

それでも倒れたら仕方がないが、できるだけの準備体制と努力はするべきであろう。注意して駄目だったら諦めがつくが、注意を怠って倒れたら、後悔することになるのではないだろうか。