【第204回】 比礼振り(ひれぶり)

合気道では、相手を見る必要はないし、ものを見る必要もないと言われる。 相手やもの(得物)を見ると、気持ちがそこに居着いてしまい、動けなくなるというのである。確かに、太刀取りや短刀取りの技を遣う時、太刀や短刀、それに相手を見たら動けなくなってしまう。しかし、一般的には、相手や得物の状況を見なければ心配だし、危険だろう。

開祖は、「相手もものも見るな」を確かに実践されていたと思う。一番よい例は、四方八方から同時に剣で打ち込ませたり、杖で突かせたのを、捌いて敵の外に出てしまうものであろう。(写真)

この時、剣や杖や相手を見たら動けなくなるはずであるが、それでも相手がどこにいて、剣や杖がどのような状態になっているのかは把握していなければならないはずである。見ずに自分の周囲の状況がわかる、何かがなければならないことになる。

開祖は、「相手を見る必要はない。姿を見る必要はない。ものを見る必要もない。魂(たま)の比礼振りであるから。」(「合気真髄」)といわれているから、この「魂の比礼振り」が、見ているということではないかと考える。

魂はさて置いて、この場合の比礼振りの比礼(ひれ)は『広辞苑』によると、@薄く細長い布の総称。古代に害虫・毒虫などの難をのがれる呪力があると信じられたものA奈良時代から平安時代にかけて、盛装した夫人が肩にかけて左右に長くたらした薄い布、という。

振る(ふる)は、I神や霊魂・精神をゆり動かして活発にする。また、震ると同源で、大地が揺れ動く。また、波・風が起こる、ことをいうとある。

開祖の見ないでも見ることが出来る「魂の比礼振り」は、体を覆い、害から身を守ってくれる呪力のある霊魂・精神である比礼を活発に働かせるということではないだろうか。
この比礼は仁王様(写真)や観音様も身につけておられるので、その身を守ることも出来るし、目で見なくとも周りが見えてしまうし、一度、震れば大地を揺らし、風波を起こして払い清めることが出来るのだろう。

比礼は言ってみれば、「バリア」であり、「触覚センサー」であり、「波動砲」ということが出来るのではないだろうか。

開祖や故有川定輝師範などの名人、達人の傍にいると、威圧感を感じ、いつものいたずら心も起きず、ただ緊張するのは、この比礼のせいだったのだろう。
だから、そんな凄い比礼を振られたら、たまったものではなかったわけである。 比礼を身につけ、相手を見なくとも、比礼を振ることによって相手が見えるよう、相手を捌けるようにしていきたいものである。