【第203回】 細い道

合気道とは「道」である。宇宙と一体となり、宇宙生成化育のお手伝いをすることを目指す道である、と開祖は言われていると思う。「道」は、到達点である目標(目的地)を持っている。目標に向かい、その道をはずれないようにその目標に近づくことが「道を進む」ということであろう。

従って、合気の道でも、到達したい目標を持たず、その目標に向かっていなければ、合気の道を進んでいることにはならないことになる。

合気道、合気の「道」は、宇宙と繋がるぐらいだから、太くて、長くて遠い「道」ということができるだろう。
宇宙が創造したと言ってもいいこの複雑で精妙な筋肉が、一つの塊で出来ているのではなく、多くの筋繊維で出来ているのと同じように、合気の「道」も多くの細い「道」で出来ているといえるのではないだろうか。

そうだとすれば、合気の道は合気の太い道である幹線道を一度で行くのは難しいだろうが、多くの細い道を進んで行けば、いずれ幹線道に入り込んで、最終目標に近づくことが出来るのではないだろうか。

合気道は技の練磨を通して最終的な目標を目指すものであるが、個々の技の練磨をするにあたっても「道」がある。合気の道に比べれば細い道と言えよう。しかし細いが沢山ある。無数にあると言えるかも知れない。細いが、疎かにはできない。その道を行かなければ、その目標に到達することは出来ないだろうから、先に進むことが難しくなるからである。

例えば、技を掛けるときはまず相手と結ぶことが大事というより、それをしなければ技は効きにくいし、効いたとしても合気道の技とは別のものになってしまう。このまず「相手と結ぶ」ことが目標となる。目標ができれば、まだ出来ない自分とその目標の間に道ができる。

あとは目標に向かって進めばいい。試行錯誤して進むことになる。なかなかうまく出来ないと、我慢しきれずに力でやったり別なことをしてしまう。これを道を外れるという。邪道である。我慢して道にのってやっていけば、何時かはできるようになるはずである。そう信じて稽古を続けるほかない。

細い道は、本当に細い。相手に手を取らせるために手を出すにも、上下左右前後数ミリずれたり、体の力が手先に集中しなかったり、息が合わなくても、相手と結ぶことは出来なくなる。従って、稽古はこの細い道に乗るよう、この道から外れないよう、細心の注意を払いながらやらなければならない。

この細い道は、長いはずである。どれだけ長いかと言えば、合気道の目標到達点まで続くはずである。前述の「相手と結ぶ」は、相対稽古の相手だけに結ぶのではなく、自分の周辺の人間、生きとし生けるもの、地球、日月、宇宙と結んでいくはずだからである。

あるいは、この細い道は、太いとも言えよう。なぜならば、この「相手と結ぶ」は一つの技だけに有効なことではなく、すべての技と業に通用するからである。つまり、一つの技でこの「相手と結ぶ」ができれば、他の技でもできるはずなのである。技と業は無限にあるわけだから、細い道 x 無限 = 無限の太さということになろう。従って、細い道といえども侮ってはいけない。

細い道を沢山見つけて、進んでいけば合気の道、幹線道に繋がっていくのではないだろうか。