【第2回】 母性社会にもどれ

スポーツの世界はいうに及ばず、武術、武道の世界でも体力がモノを言う世界である。力がある者が無いものを制しようとする物質主義である。
これは、若者文化、そして男性社会、男性原理の文化である。
このような世界、社会、文化では競争原理が働き、勝負で優劣を決めようとすることになる。勝者と敗者がわかれ、勝者もいずれは必ず敗者になる社会である。

男性社会とは統計、数字、法律、そして言葉に重きを置かれる社会であり、現在は主導権をとっている欧米がそうである。この男性社会は多くの問題を抱えるようになってきている。スポーツの世界の戦いだけではなく、ビジネスの社会、日常生活の場も競争の社会となり、厳しく住み心地のよくない社会になってきた。

このような社会で、比較的に楽しく、幸せにやっているのが日本では地方であり、海外では発展途上国とイタリアなどのラテン系の国である。この共通点は、父親より母親が重視される母性社会ということにあると思う。
食事に事欠くような厳しい時代や、他国と戦わなければならない時代などにあっては、社会はパワーや統計、数字、法律、言葉を必要とする。

社会が豊かになり、安定した社会になっているのに更に競争するのでは、社会の豊かさのためではなく、自分の更なる豊かさの追求になって行く。強いものが弱いものから体よく削り取り、富と権力をどんどん獲得し、その結果、貧富の差が開いてくる。それまでみんな同程度の中流社会であったのが、貧乏人と金持、弱者と強者、負け組みと勝ち組に分かれるようになる。町には小さな店が沢山あり、共存し社会がうまく機能してきた。そこに力(資本)にものをいわせた大企業が進出しその市場を席巻し、これまでの小零細店は立ち行かなくなり店を閉めていく。

世界は決して止まっていないし、社会も変わる。ファーストフード、スーパー、チェーン店がこのまま永遠に市場を席巻していくとも思えない。これまでの歴史を見ても、勝者は永遠に勝者ではなく、いずれは敗者になる。零細店の巻き返しが期待される。今の勝者にも欠点や影の部分はある。その証拠に、ファーストフードの客離れがある。日本最初の本格的なファーストフード“マクドナルド”も以前の勢いがなくなり、創業者も引退となった。逆に、スローフードがいま話題になってきており、客数も増えている。

ファーストフードとスローフードの一つの大きな違いは、思いやりである。相手の気持ちを感じ、相手が満足することに努力を惜しまないことであろう。儲けようという気持ちが強くなりすぎると、相手への思いやりは消えて、自分中心の利己主義になる。儲かればなんでもいいからと合理化の下、健康や安全性などよりも安さを重視し、できるだけ安いものを仕入れ、人を労働力とのみ見て、人をできるだけ安く使い、マニュアルに則った客との注文取りはロボットのようになっていく。

これからの社会はお互いがいつくしみ合い、思いやり、敬い合う社会でなければならない。その為には、まず相手を感じるようにならなければならない。しかし、それは普通の日常生活の中ではなかなか難しいことであろう。なぜなら、通常の生活は無意識の内に競争原理で行かざるを得ないからである。それを得るためには別の世界に入るのがいい。例えば、合気道などの武道である。合気道は相手を感じなければできない稽古法なので、稽古を続けている内に次第にそれが身につくようになる。会社や事業ではどうしても競争原理でやっていかざるを得ないだろうが、退職してもそれを引きずっていけば家庭ではうまくいかなくなる。高齢者になったら母性社会の生き方に変えていくのがよい。