【第196回】 感謝

合気道の稽古のため道場に通えるのは、幸せである。学生時分から通っているので、通うのが当然と思っているが、たまに仕事で時間が取れなかったり、風邪を引いて稽古に行けないことがあったりすると、稽古に通える有難さをつくづくと実感する。

また、年を取ってくると年上の先輩は亡くなっていくし、先輩や同輩が膝が痛いとか腰が動かないなどといって稽古に来なくなるので、稽古が出来る有難さをますます感じるようになってくる。

稽古に通えるためには、少なくとも3つの条件が揃わなければならない。お金と時間と健康である。稽古事にはお金が掛かるので経済的な余裕がちょっとだけ必要である。お金があり、健康で元気でも、時間がなければ稽古に通えないので時間も必要である。そして、体がいうことをきかなければ道場にも行けないし稽古も出来ない。だから、健康でなければならないのである。

これらの稽古のための3つの条件は、人により、また年代により優先順位が変わるだろう。一般的には若いうちの優先順位は、@お金A時間B健康であろうし、高齢者にとっては@健康Aお金B時間ではないだろうか。つまり、高齢者が合気道の稽古を続ける為に最も必要なことは、「健康」ということになる。それ故、高齢者が稽古でも大事にしなければならないのも「健康」ということになろう。

もちろん高齢者の稽古のためには健康は一番大事だが、何かの事情でお金がなくなったり、時間がなくなれば、稽古は続けられなくなる。稽古を続けられるための、お金と時間と健康はすべて揃わなければならない。稽古が出来ることに感謝し、お金と時間と健康が揃っていることに感謝しなければならない。

日頃は当然と思っていたり、見過ごしていることにも、感謝すべきであろう。例えば、身近なものでは自分の体である。心臓は産声を上げて以来止まることなく動いてくれているし、呼吸も続いている。彼等は感謝されることもなく黙々と働き続けているのである。手足や胴、目鼻耳も感謝もされずに働いている。それらの働きが意識されるのは、彼らが機能不全に陥ったときであろう。病気や怪我などになってはじめて、その働きの有難さに気がつくのである。

感謝をしていれば、それを大事にするはずである。歩くにも階段や坂をのぼるにも、膝にはお世話になるのだから、機会あるごとに感謝していれば、階段や坂をのぼるにも稽古でも、膝に負担が掛からないようにするだろう。また、もし膝に負担を掛けて膝が悲鳴をあげても、その声を聞くことができ、悲鳴があがらないような膝の遣い方や稽古に変えることができるはずである。

次に感謝したいのは、自分の周りにいる人たちである。妻(夫)、家族、近所や会社などの自分に関係ある人たち。合気道創始者とその伝承者、道場の稽古仲間、古今東西の武道家のみならずスポーツ選手、トレーナー、芸能人、芸術家などなど。また、小さな子供たちからは純粋な気持ちとエネルギーが貰えるので、子供たちにも感謝である。要するに、すべての人に感謝することになる。

人を見ると、誰もが一生懸命生きているのが分かる。上手い下手、要領のいい悪いなどあるが、みんな精一杯やっていると思う。それを見ると、自分も頑張ろうと思う。だから、人に感謝である。

人は一人では生きていけない。砂漠の真ん中や無人島に一人でいることを考えれば、気に入らない奴と一緒でも、どんなに有難いことかと思う。すべての人に感謝ということになるだろう。

人間に対してだけではなく、鳥虫草木や自然環境にも感謝しなければならないだろう。鳥や草木は害虫を食べてくれたり、炭酸ガスを吸収して酸素を供給してくれるということだけでなく、我々の耳や目を和ませ楽しませてくれる。普段あまりに身近にあるので、その有難さに気付かないが、もし鳥虫草木がない所にいるとすれば、耐えられないだろう。感謝すべきである。

人間もそうであるが、鳥獣草木も精いっぱい生きている。しかも、みんなある目的に向かって生きているように思える。みんなおのおの使命を持っており、その使命を尽くそうと頑張っているように見える。虫でさえ、ある目的に向かい、使命をもって生きているようだ。例えば「ふんころがし」という虫であるが、動物のフンを自分の体よりも大きい球に丸めて、処理してくれる。地球に楽園をつくるため、地球をきれいにすることが、「ふんころがし」の使命なのだろう。当然、人も使命を持っているはずである。

人も鳥獣魚虫草木も、地球上の生き物の使命は地球を楽園にすることだろう。
地球楽園建設のために、みんな自分の使命を果たすべく、それに向かって精一杯生きていると思える。そう思えば、生きとし生けるものに、一緒に頑張ろう、頑張っているねと、感謝したくなるだろう。