【第196回】 現在、過去、未来

今ある自分は、すべて自分の過去が集積したものである。過去にやったこと、学んだこと、食べたり飲んだりしたこと等などの結果の集積であると言える。また、やらなかったこと、やれなかったことも自分の今の一部を構成するはずである。 現在は過去であると言える。

また、「今」は最早「今」ではないはずだ。「今」と思っても、もう過去になっていく。この意味からも、今は過去ということができるだろう。

この「現在と過去」と「未来と現在」の関係は同じである。なぜならば、現在やっていることが未来に集積されるからである。未来から現在を見れば、現在は未来での過去となるわけである。

また、「今」はどんどん「未来」になっていく。「今」は「今」で留まっていない。今は過去になり、未来になっていく。

とすると現在は過去であり、また未来であることにもなる。

合気道は、神代からの過去も、宇宙が完成する未来も、一身に取り込んだ技を出す修練をしていかなければならない、といわれる。これを開祖は、「合気は、全神代からの歴史を、その活躍の霊営を悉く身心に吸収し、胎蔵させて頂いて、営みの世界たる万有万真、森羅万象に至るまでの現れのごみいずの大気を胎蔵して、授けられた本能によって、神代にさかのぼり又天下の造化の歴史を未来に及ぼし、古も未来も一身に胎蔵して、その智(ひかり)によって技を湧出するものである」(武産合気)と言われている。

古も未来(過去と未来)も胎蔵した技を湧出しなければならないわけであるが、過去、現在、未来で構成される技とはどういう技か考えてみなければならないだろう。しかし、そう簡単には頭でも分からないだろうし、自得はもっと難しいだろう。ひとつだけ間違いなくいえることは、過去にも現在にも未来にも通用する技でなければならない、ということであろう。通用するということは、いつの時代にも評価されることであり、合気道的に言えば、宇宙生成化育の邪魔をせず、それにお手伝いができるものということになるのかもしれない。

例えば、過去の武術(合気柔術)は戦うため、相手を制するためのものであったから、敵を制することが出来ないものは、評価されなかったはずである。ところが、現在は敵を制することも大事だが、敵をつくらない方がもっと評価される。ハードルが高くなって難しいともいえるが、これもまだまだ変わっていくだろう。

「今」が過去になり、未来に入っていくのだから、宇宙の営みを形にする合気の技もどんどん変わるはずである。それ故、開祖は「技は時代と共に変わっていかなくてはならない」と言われたのだと思う。

今やるべきこと、またやりたいことをやらなければ、未来においてもその部分は欠けたものになる。未来に期待するなら、現在を一生懸命生きなければならない。合気道の上達を期待するなら、今、稽古するしかない。何もしないで希望だけ持っていても、幻の未来が来るだけである。

自分のやることは、一挙手一動すべてが未来に結びつく。自分だけの未来に結びつくだけではない。それは、宇宙の未来である。人一人一人のやっていることが、人類のものとして集積し、その結果が未来に集積されることになる。宇宙が最後に創造した人間には、宇宙の未来に対して最大の責任があるはずである。未来の地球が楽園となり、宇宙生成化育のお手伝いを少しでもできるよう、人類は過去を顧み、未来を考え、現在を生きなければならない。

現在は過去と未来につながっている。未来のために過去を顧み、未来を見据えて現在をしっかり生き、また稽古していくことが重要であろう。