【第192回】 体の節々を更にときほぐす

合気道は技の練磨を通して精進していくのだが、数年くらいで満足に出来るものでもない。その上、試合もないし、またスポーツや他の武道や習い事に比べて時間が掛かることを覚悟しているのか、のんびりした稽古をしているといえよう。自分がスポーツをしていた時は、試合の前日は眠れないし、当日は緊張してトイレに何度も行くようなことがあった。だが、合気道では演武会でもそれほどのことはない。道場の稽古でも、会社や学校の緊張から解放され、リラックスしに来ているように見受けるほどである。

しかし、のんびりした稽古を続けていても、長年稽古をして上達がないと、さすがに考えこむようである。こんなに長くやったのにこの程度なのかとか、これから先、上手くなれるのだろうか等と考えるようになる。どんな人も少しでも上手くなろうとして稽古をしているのだから、上手くならなければ考えるのは当然であろう。

ある程度の段階で上達が止まってしまう最大の原因は、体が合気道の体として完全に出来上がっていないことだと思う。体の節々に硬直しているところがあるからである。合気道は大きな目的に向かって進む道であるが、体ができなければ先へ進めないのである。

体が硬いということは、まず体の節々が油の切れた蝶つがいのようにスムースに動かないということである。節々が機能するためには、そこのカスを取り去らなければならない。合気道の技はそのカスが取れるようにできている。開祖が、「合気道の技の形は、体の節々をときほぐすための準備です」と言われていることでも分かるだろう。(『武産合気』)ただし、ただやっても取れないので、取れるようにやらなければならない。

技を掛ける時、掛けられる時には、自分も相手も節々が柔軟になるよう意識を入れてやらなければならない。二人でストレッチし合っているつもりでやるのである。自分の限界と相手の限界の紙一重上まで、伸びたり、伸ばしてやるといい。ここで大事なことは、「愛」でやり合うことである。自分も限界まで伸ばすが、相手も限界まで伸ばしてあげるのである。合気道は「愛の武道」であることを認識しなければならない。ここに「愛」がなければ事故になる。

体の節々は、硬直したところがないよう、そして、ますます柔軟性がつくよう限りない鍛練が必要である。肩甲骨が硬直していれば、手に力は伝わらないし、骨盤が硬直していれば股関節が充分に働かず、腹の下に足がおさまらず、体重を利用できないことになる。

開祖の体は晩年になっても超人的な柔軟性を備えていたが、この鍛練の結果であったと思う。技を上達したいと思えば、まずは体の節々を更にほぐしていくことである。