【第191回】 自己を知る合気道

合気道は、技の練磨を通して精進する「道」である。「道」であるから、目的地がなければならないし、道にのっていなければ先へ進むことはできない。

合気道は、他人に勝つために技を練磨しているのではない。勝負は強いものが勝つし、弱い者は負ける。勝っても、もう一度やって必ず勝つという保証もない。また強いものも永久に強いわけではなく、いずれもっと強いものが出てくるか、自ら弱くなり負ける。いずれ負けることが分かっていて、一瞬のために燃焼するのも素晴らしいことである。スポーツはその典型であろう。

合気道も、強くならなければならない。しかし、稽古相手などに今は牛耳られていてもよい。今がゴールではなく、未完成であり、修行の途中なのだ。あと10年、20年経って、80〜90歳になったらもっと上手くなっているようになればよい。

そのためには一歩一歩地道に上達するようにしなければならない。上達するということは、強くなることでもあるが、他人に勝つことではない。自分に勝っていくことである。つまり、自分が出来なかったことが分かる、出来なかったことが出来るようになる、ということである。

合気道は人に勝つためではなく、自分に勝っていくことである。自分に勝つということは、究極的には自己の使命、宇宙からの使命に打ち勝つことであると言われる。それ故、「合気道を体得したならば、宇宙の条理が分かり、また、自己をよく知り、分かってくる。」(『合気真髄』)という。

今の世の中で、これほど広範なことが学べるものは、合気道以外にはないだろう。合気道の技を身につけるだけでなく、宇宙が分かり、そして自己がよく分かるようになるのである。

それ故だろう、修行と研究はどんどん広範になり、徒手だけでなく剣や杖や槍をやるようになるし、哲学、宗教、科学なども研究するようになるものだ。

自分を知る、ということは、つまりミクロの宇宙である自分の肉体を知り、自分がどこから来て、どこに行くのか、そして自分は何者なのか、言いかえれば、自分の天命・使命とは何か、を知ることであるが、自分を知るのに最適なのは合気道ではないだろうか。

開祖は、「合気道とは、各人に与えられた天命を完成させてあげる羅針盤である」(『武産合気』と保障されているのである。