【第189回】 好きなことをやって楽しむ

若いうちは、仕事のために時間とエネルギーを使う。家族のためにお金を稼ぎ、国のために税金を納める。国の組織、人類のシステムに従って、仕事をしているわけである。若いときは時として、この組織から少しでも、一瞬でも逃れ、自由になりたいと思うものだ。それ故、週末は待ち遠しいし、長期休暇は最高である。 しかし、定年前の若い人には働いてもらわないと、国や社会は機能しないので、頑張ってもらわなければならない。そのためには年金暮らしなどの高齢者も、若者が頑張るように生きていかなければならない。

年金暮らしに入った高齢者は、仕事をする若者と違い、時間とエネルギーを自分のために使えるわけである。何もしなくてもよいし、何かをやっても誰も文句を言わない。しかし、何もしなかったり、納得いくものをやらなければ、本人自身が満足できないはずである。何もしないでごろごろしていたり、「ぬれ落ち葉」でいたりする人で、いい顔や満足した顔をしている人はいないはずだ。

「何かをする」とは、一言でいえば、「生産的に生きる」と言えよう。人は若者も高齢者も、生産的に生きるようにつくられているような気がする。開祖が言われる「宇宙生成化育」に携わっているわけである。もしそうだとすると、人は生産的に生きなければならないことになる。若いうちは仕事をするから、「生産的に」生きていることになるので、若いうちは問題ないだろうが、定年を迎えた高齢者の「生産的な生き方」とは何かを考えなければならないだろう。

高齢者が出来る、そしてやるべき生産的なことは、若者に対して、年を取ることの素晴らしさを示すことだと考える。昨今、若者が荒れたり、生きる希望をなくしているのは、高齢者にも責任があると思う。多くの高齢者が折角の自由な時間を、生産的に楽しんでいないからである。それ故、若者は年を取ってもこんなものなら頑張って長生きしても意味がない、と思うのではないだろうか。

年を取れば、こんなことが出来るし、また楽しいものだということを、若者に示さなければならない。そのためには、高齢者が好きなことを見つけ、好きなことをやって楽しむことである。若者が見て、自分も早く年を取って、そのようになりたいし、出来たらいいと思うようにしたいものだ。

道を楽しむ合気道は、それを若者に示すに相応しい。若者のためにも、『道楽』の合気道をしたいものである。