【第189回】 思想をもつ

若い時に渡独し、ドイツで数年間暮したことがある。渡独の目的として合気道を普及させることもあったが、1966年頃は日本でもまだ合気道を知っている人は少なかった時で、ましてやドイツではほとんどの人は知らなかった。

初めはダンススタジオや地区のスポーツクラブの体育館を借りて、小さなグループから始めたが、「合気道とは何か」を説明するのは非常に難しかった、というより出来なかったと言った方がよいだろう。ただ有難いことに、合気道には練磨していく技があるので、技を示したり、技を掛け合うことによって、お茶を濁していたと思う。

道場に来る稽古人には、何とか合気道とはこんなものかと想像してもらうこともできたが、技を一度も見たことかない友人や知人や知らない人から、道場以外の場所で「合気道とはどんなものですか」と訊かれたのに対して、納得するような説明は出来なかったと思う。せいぜい二教を掛けて、こんなものですと言うぐらいであったが、彼らは納得しなかったはずである。なぜなら、彼らが期待していたのは技よりも、合気道の哲学、思想であっただろうと思うからである。

今はテレビや映画や漫画で合気道が頻繁に紹介されているので、日本人の多くは合気道の名前ぐらいは知っているだろう。今さら合気道を、当時の外国のようにゼロから説明する必要はないが、忙しい現代流に一言で説明するのは、やはり容易ではないだろう。

合気道を、つまり合気道の思想を説明出来るためには、合気道をよほど深く知らなければ出来ないのである。古い本部道場は、玄関を入って右の段を2〜3段上がるともう道場であり、事務所は玄関の正面にあったので、入口からも道場からもよく見えた。

ある時、入口でカードを置いて道場に入ると、事務所の中で開祖がにこにこしながら電話で話されていた。何気なく聞くと、入門を考えている人が合気道について「合気道とはどんなものなのか」と電話で尋ねてきたのを、誰もいなかったので大先生が電話に出られて、合気道についてご説明されておられたのだ。通りすがりに聞いただけなので、どのように話されていたか詳しくは分からなかったが、にこにこしながら懇切丁寧にご説明されていた。開祖のご様子からして、電話の相手は合気道をよく理解できたようで、恐らく後日、入門したのではないだろうか。なにせ合気道を一番よくご存じの方が説明したわけだから。

合気道をどれだけ説明できるかは、合気道の思想をどれだけ理解し、それを技を通してどれだけ表現できるかということになるだろう。

合気道の思想は、開祖がつくりあげているので、それを勉強し自得しなければならない。少なくとも、『武産合気』『合気真髄』を何回も読んでいかなければならない。一度読んで分かる人はまずいないと思うが、読めば一か所や二か所は何か発見があるはずである。二回読めば、それプラス更なる数か所が解読できるようになり、数十回読めば、相当分かるようになるはずである。

合気道の思想を勉強するのは、これしかないはずである。合気道の真髄に触れたければ、この本を繰り返して読むしかないだろう。そして、自分の技がこの合気道の思想に合っているのかどうかを、常に検証しながら稽古をしていかなければならない。

せっかく開祖が苦労して創られた合気道の思想を、埋もらせたり、発展させないのは、人類のため、宇宙にとっても大きな損失になろう。司馬遼太郎氏が次のように書いている。「日本史をみていると、学問や思想上の巨人が出ます。しかし孤立しています。巨人が出て学問や思想が展開されたあと、そのあとの人々が、それを深く掘り下げるか、べつな方向にべつなものとして展開しそうなものなのに、その巨人だけで終わりますね。」(『司馬遼太郎が考えたこと』)合気道はそうならないようにしたいものだ。

さらなる発展が続くように、我々は技と同様、合気道の思想を勉強し、身に着け、それを後進に伝えなければならない。後進に同じ苦労をゼロからやらせないためにも、われわれが土台をつくってやれば、後進はそこからスタートできるので、その分われわれが出来なかったことや取りこぼしたことの更なる思想の発展に精進できることになるはずである。このようなプロセスが継承されていけば合気道の思想、合気道はますます発展し、いつか開祖が言われる「宇宙と一致」する完璧なものになっていくはずである。

思想をもった技の練磨をしていきたいものである。