【第179回】 年は気持ちから

年は誰でも取っていくものだ。人間社会に生きていれば、自分は何歳なのか、否応なしに知ることになる。

しかし、本来は、年など心身には直接関係ないと思う。60歳の頭の働きはこうで、体はこうなるなどということはない。60歳の人が100人集まっても、同じではない。60歳としての基準などない。あるとしたら、暗示にかけられているのだろうと思う。

暗示をかけるのは、自分だけではなく、まず社会や世間がかけてくる。6歳だから学校に行きなさいとか、60歳で定年だから、後は年金でのんびり暮らして下さいとか、相手が望もうと望むまいと強要してくる。そうすると、本人も年に合わせた生き方をしなければならないと思ってしまう。そうやって、定年になると、社会との接触が断たれることになり、元気をなくして老いることとなる。

また、周囲の人間も暗示をかけてくる。例えば、「お幾つですか」とくる。大体は、自分のほうが若いということをいいたくて聞いてくるようだ。年を聞かれるので、自分の年を意識してしまうことになる。

しかし、年を取ってしまったと暗示をかける最大のものは、自分自身であろう。 自分で、何歳になったから高齢者や老人だとか、年だからこういうものは着ないとか食べないとかやらないとか、生きることにブレーキをかけてしまい、暗示をかけるのである。

年と自分自身は多少の関係はあるだろうが、自分がどうしようもないようながんじがらめの関係ではないだろう。年は勝手にふえるので、それは仕方がないが、自分が考えたり、やることは、年など関係なく自由であるはずだ。

80歳だからあれをやらないとか、100歳だからもう駄目だなど、自分を縛ることはない。年など気にしないで、やりたいことをどんどんやっていこうと考えるべきだ。100歳、200歳まで長生きすることが本当の目的ではないはずだ。やりたいことをやり遂げて、気がついたら100歳、200歳になっていたというのが本筋だろう。年を気にしないでやりたいことをやった方が、長生きも出来るだろうと思っている。

そうしたからといって、長生きするという保証はないが、誰でも何時か死ぬことは、私の首を賭けても保証できる。決まっていることを心配してもしょうがないだろうし、忘れた方がいい。自分の年など考えず、年とは関係なく、80歳でも100歳でもやりたいことをやりたいようにやればいい。思うのは自由だし、タダだ。

今、40,000人の日本人は100歳以上なのだから、100歳以上生きるのもそう難しくないだろう。やりたいことを100歳までできれば素晴らしい。

100歳などは、まだまだ若造かもしれない。何故ならば、日本の記録にある長寿記録は、数えで243歳であるという。玄侑宋久氏がその著書『観音力』の中で、「江戸の天保年間(1830―44)に永代橋が架け替えになったとき、渡り初めをしてもらうために日本一長生きの夫婦を探そうといって、将軍家の肝煎りで探したんですよ。そうしたら、三河の国の百姓である万平さんご夫妻が日本一だったんです。息子も孫もみんな、歳の記録も名前も残っています。孫娘が当時137歳です。息子の万五郎は193歳、孫の万九郎は156歳です。」と書かれている。江戸時代の我が国随一の長寿者としての吉田領内三河国宝飯郡小泉村の百姓万平の話は、百目鬼恭三郎の「奇談の時代」、滝沢馬琴「玄同方言」等など多くの書物に書かれているようである。

あるいは真実でないかもしれないが、事実でないともいえないのだから、自分の都合のいいように解釈する方がいい。200歳ぐらいまで生きられると思ったほうがよいだろう。

そうすれば、60歳とか80歳など、243歳に比べれば、4分の1や3分の1しか生きていないことになる。60歳や70歳で年など気にするのは、馬鹿々々しいことではないだろうか。年など気にしないで生き、合気道の稽古もバシバシやりたいものである。そして、ある時はっと気が付いたら200歳になっていた、というようになりたいものである。

参考文献: 『観音力』 玄侑宋久著 (PHP研究所)
        注)玄侑宋久(げんゆう そうきゅう)芥川賞受賞、臨済宗福聚寺住職