いつも不思議に思うことだが、自分の体を自分自身の素手で破壊することは不可能らしい。手首関節の鍛錬でどんなに力をいれてやっても、折れることはない。他人に折られることはあるだろうが、自分自身で折ったのは見たことも聞いたこともない。
長年、疑問に思っていたことが『海馬 − 脳は疲れない』(新潮文庫)を読んで納得した。それによれば「身体が耐えられないほどの力を加えないために、筋肉にも脳にも必ずストッパーがありますよね。一方に伸ばす筋肉があれば、逆側で縮む筋肉もはたらいている。両者の筋力をゼロにはできないんです。」ということである。
そう言われると、我々の身体、つまり筋肉と脳には、これは止めとけとか、この辺で止めとけ、というストッパーが機能していると思う。もしこのストッパーがなければ、自分で自分の手首を折るまで曲げてしまうだろうし、倒れるまで走り続けるだろうし、死ぬまで働き続けてしまうだろう。ストッパーは人類が生存するために必要な遺伝子であるのだろう。
しかし、物事には両面があって、ストッパーにもマイナス面がある。ストッパーをかけると安心できるので、早めにストッパーをかけたり、まだ何もしないうちにかけてしまったりすることもある。例えば、手首の鍛錬稽古で限界以前でストッパーをかければ、痛くはないだろうが鍛錬にならないし、稽古も限界以前でストッパーをかけてしまえば上達はない。また、強そうな相手のようだからと避けてしまい、一緒に稽古することにストッパーをかければ、多くのことを得られる折角のチャンスを逃すことになる。
『海馬 − 脳は疲れない』の中で、薬学・物理学博士の池谷裕二東大准教授は「人間の体は、ある方向へのエネルギー注入をとめることで、他方向へのエネルギー注入を増やすようにできています。脳もまたおなじです。『できないかもしれない』と心配するストッパーをはずさないことには、無意識のうちに能力にブレーキをかけてしまいます。」といっている。
合気道の稽古でも、また日常の生活でも、我々はストッパーをかけすぎているのではないかと考えさせられた。ちょっと無理だと思えること、嫌だと思えることにも、気持ちのストッパーをかけずにやれば、能力が意外に向上し、更に生活も厚みのある楽しいものになるのではないだろうか。
ストッパーをはずすこととは、「えい、ままよ!!!」ということであり、百尺竿頭ということでもあろう。これからの残り少なくなってくる稽古も生活も、ストッパーをできるだけはずしてやってみたいものである。
参考文献 『海馬 − 脳は疲れない』(新潮文庫)