【第172回】 すべてに繋がる

合気道の稽古で今やっていることは、これまで学び、研究、鍛練して集大成 したものである。これまで目で見たり、耳で聞いたり、肌で感じ、頭で考えたことを統合して、その人の「わざ」となっているのである。

今の自分も、日常生活でこれまで見たり、聞いたり、考えたり、食べたり、飲んだり、体験してきたことで成り立っている。これまで見たこと、聞いたこと、考えたこと、飲み食いしたもの等すべてが、今の自分と繋がっているわけである。

若い頃は、自分が年を取ることなど考えないし、想像もできない。大体は今の若さがずーっと続くと考えるものだ。若いうちはやりたいことが沢山あるし、エネルギーも十分ある。仕事に就く前なら、時間も十分にある。自分のやりたいこと、興味のあることをやるための条件は、揃っているはずである。あとはやりたいことや興味のあるものを、やるかどうかだけである。

だいたい若い時にやることは、あまり系統立っていないものだ。中には習い事をして、その技術で仕事をしようと考え、語学や芸能を学ぶ者もいるだろうが、一般的には将来のことなど考えずに、それをやりたいからやるようだ。その本を読みたいから、その映画を見たいから、そこに行きたいから、それを食べたいから等などである。合気道の稽古を始める大部分の人も、専門家になるとか、これで何かをしよう等と考えてのことではなく、唯、やりたくてしょうがないから始めたにすぎないだろう。子供の頃や若い頃にやることは系統立ってなくて、ばらばらで独立、孤立しているものだ。

合気道も40,50年やってくると、変わってきたなと実感できることがある。今までやってきたことが繋がってくるのである。初めは四方投げを得意技にしようと3,4年は四方投げを毎日、自主稽古で稽古したし、関節を鍛えるために二教を掛け合う稽古を数年間集中してやったり、次には腰投げ、入り身投げ、そして最近になって一教と、その時々で集中して稽古したものだが、これまでバラバラに稽古してきたことが繋がってきたのである。

息の遣い方にしても、手足や体の遣い方にしても、それまでは或る技や動きではできるが、苦手なものではできないとか、技もある人には効くが他の人には効かないとか、基本技も上手く出来たり出来なかったした。だが、これまでの失敗や経験が繋がりを阻んできた穴ぼこが埋まり、繋がった感じがする。合気道の稽古で、呼吸が技や体の動きと繋がってくると、合気道の外での踊りや仕舞いにも興味を魅かれるし、勉強にもなるなどと繋がってくる。稽古で手足は体の中心から動かすということが分かってくると、イチローのバッティングとも繋がってくるのである。

合気道の稽古で技に潜む共通因子(ファクター)を見つけると、技と技が繋がってくるし、体の各部位が繋がり、連動して動けるようになる。手足が腰腹と繋がり体の各部位が連動して動ければ、体と呼吸が繋がったことにもなる。呼吸に合った技が遣えれば宇宙を感じることが出来るようになり、自然、宇宙とも繋がってくることになるだろう。

若いうちは、何でも挑戦してやってみるのがよい。興味のあること、大事だと思ったことはやるべきである。突発的でも、以前と正反対でも、そう思った時にやるべきだ。何故なら、時間が経てば興味は変わってしまい、その興味は消えてしまうからである。興味を持ったり、大事だと思ってもその時やらなければ、その部分が自分に欠けてしまうことになる。本当に大事なことというものは、人生でそう沢山有るわけではないだろうから、これはというものはやるべきであろう。それをやらないとどこかが欠落して、社会とも自然や宇宙とも上手く繋がらなくなるかもしれない。

年を取ってきたら、それまで身につけたこと、経験したこと、蓄積したものを繋げていきたいものである。多分今までやったことに、何一つ意味のないものはないはずである。年を取ってきたら、すべてに繋がりたいものである。