【第168回】 社会は同じ目標を持つ人の集まり

今の社会は競争社会ともいわれ、負けるか勝つかの厳しい社会であるようだ。とりわけ先進諸国は競争が厳しいようだが、発展途上国の厳しさも先進国に接近している。競争に勝つために金や物を少しでも多く持ちたがり、他人を押しのけてまで勝ち残ろうとするものが増えているようだ。

競争に勝つ、相手に勝とうとする考えを、合気道の稽古においてまで引きずっていることも多い。合気道は本来、世俗的な金や物、競争心などから開放するために修行するもののはずだが、ともすると競争意識などを引きずってしまう。社会での慣習や考えを百八十度変えるのは難しいのであろう。

合気道のモットーは「愛」である。「愛」は「和」でもある。人類みんな愛で和せということだろう。しかし、そこまで行く前、に稽古でやるべきことがある。それは、相対稽古の相手とまず和していかなければならないことだ。一所懸命に稽古すれば、たまには小競り合いがあるだろうが、根本的な考え方とやり方が間違っていなければ、和するはずである。そうすれば、例え小競り合いがあったとしても、それはいわば兄弟喧嘩のようなもので、仲のよい証拠であろう。

合気道の道場や同士と和するためには、その一つの社会が目指している共通の目標を認識しなければならない。合気道の社会での目標は、合気の道を少しでも先へと進むことである。他人ではなく、自分がどこまで変われるか、である。他人とは自分の上達や変化の尺度であり、いろいろなヒントをくれる先生であり、自分の考えをためす試みを手伝ってくれる支援者なのである。つまり、そこには競争とか、勝ち負けということはないはずである。

合気道を修行する人たちは、同じ目標を持った者同士なのである。稽古相手をそのように見て、一緒に稽古をすれば、競争心ではなく愛が湧いてくるのではないだろうか。自分も上達をしようと思うが、相手にも上手くなってもらいたいと思って、支援をしたくなるだろう。

合気道の社会以外にも、家庭、会社、仕事関係、地域社会、町、日本、人類といろいろな社会がある。お互いにその社会の真の共通目標を認識して、それに向かって進むようにすれば、いい社会ができていくはずだと考える。競争の厳しい仕事でも、会社社会では社長も社員も皆がやりがいがあるような会社にしていけばいいだろうし、仕事関係で他の会社と一緒に仕事をするとしたら、関係する会社がすべて互いに利益を被るようにすればよい。自分だけ儲けて他に儲けがないのでは、禍が起こり、争いになる。愛も和もなくなってしまい、その社会は崩壊することになる。

それぞれの社会の目標を認識せず、みんながその本来の目標に向かうようにならなければ、愛も和も無くなり、争いが起こったり、またその社会は消滅することになるだろう。

最も大きい社会は、「宇宙」と言えよう。宇宙の目指す目標をみんなで認識して、それに向かうようになれば、宇宙社会に愛や和も訪れるのではないだろうか。

社会とは、同じ目標を持つ人の集まりであるはずだ。それは、その目標をその社会の関係者がみんなが再認識して、ある場合は個々人としては我慢したり、妥協したりしながら、社会の目標のために協力して行く単位なのではないだろうか。