【第168回】 道に入る、道にのる

合気道は「合気の道」である。「合気」に関してはまだまだ研究しなければならないことが多いので、今後の研究ということにして、今回は「道」について考えてみたいと思う。

合気道の他に、柔道、剣道、弓道など「道」をつけるものは沢山あるわけだから、この「道」には何か大事な意味があるはずである。もしもこれらの武道が相手を制するための技術を追求するだけの武術であれば、かつてのように合気術、やわら(術)、剣術、弓術でいいだろうが、それが「道」となったのには意味があるはずだ。合気道でも合気柔術との違いがあるし、それが分からなければ、先へ進むことはできないだろう。

「道」の先には、目的地、目標がある。道はどこかに到達するために、つくられたり出来たものである。山には頂上があり、大方の道は頂上につながっているはずだ。頂上を目指す人は、麓から道を登れば、目標の頂上に辿り着くはずである。道に入らなかったり、間違った道を行けば、頂上には行けない。

合気の道にも、目標がなければならない。そうでなければ、合気道とは命名されなかったはずである。開祖はそれを宇宙生成化育のお手伝いとか、宇宙との一体化などと言われている。その目標はそれしかないのか、まだ他にあるのか、今のところ明確に示してくれる人はいないようだが、自分なりに目標を定めた方が修行はしやすいようだし、目標がなければ修行を続けるのは難しいだろう。何故ならば、「道」が出来ないからである。

目標を定めて、「道」を敷き、その「道」に入るのは容易なことではない。例えば、先ほどの合気道の目標を開祖は、宇宙生成化育のお手伝いとか、宇宙との一体化と言われているが、このような目標を凡人が考え出すのは不可能であるし、またその目標に到達するための合気の道を敷くのも出来るものではない。

目標に繋がる道の入り口までは、先達が必要である。合気道の先達は、植芝盛平開祖である。我々は目標に通ずる道の入り口までは、導いてもらっているのである。これから先は、自分で道に乗ることである。乗る乗らないは、本人次第となろう。

真の合気道が求めている目標に繋がった道に乗れば、あとは何か大きな力が目標に向かって引っ張ってくれるようである。知恵が湧いてくるし、マクロの世界にどんどん入っていくし、ミクロの世界にもどんどん浸透していくようだ。今まで見えなかったものが見えてくるようになり、新たな発見があり、別の世界に入って行くようでもある。この先どんなものが見えるようになり、体験できるのか楽しみになる。

技も変わってくる。道の先の目的地に一歩でも近づくべく努力するようになる。技の摩訶不思議さ、難しさが改めて見えてくる。何者かに引っ張られて、「道」を少しづつ進んでいると感じるようになる。

「道」に乗るとは、こういうことなのではないだろうか。いくら長年稽古しても何も変わらないとしたら、「道」に入っていないか、本道をはずれて迷い道や横道や邪道に入っているのかも知れない。本道まで戻り、その「道」の入り口から入って「道」乗り、修行し直すのがよいのではないだろうか。