【第167回】 習慣化

合気道に入門する人は多いが、止めていく人も多いようだ。止め方も、3日、3月、3年といわれるように千差万別であろうが、入門する動機や決意、それに指導する先生の善し悪しや好き嫌い、仕事環境や生活状態など、運とも言える要因によっても止めたり続いたりが決まるだろう。例えば、親の敵(かたき)のために何がなんでも強くなりたいと始めたなら、少しのことでは止めないだろうが、親に言われていやいや入門したということであれば、続くはずがない。

もちろん稽古を続けることは、容易ではない。生きる上でやらなければならないこと、やりたいことは沢山あるが、体は一つ、時間は限られている。また、隣の芝生はよく見えると言われるように、他人のやっていることはよく見えてしまい、自分のやっていることの価値がなかなか分らないものである。

入門したての頃は、技の形も分らないし、受身もとれない。自分の体が思うように動かず、これが自分の体かと情けなくなってイライラしたものだ。二教や三教の関節技では、先輩たちに涙が出るほど締められるし、投げ技では頭を打つで、時々、今日は稽古をサボろうかと思うこともあったが、そういう誘惑を克服して何が何でも行くと決めて通うようにすると、稽古に通うのが習慣化する。習慣化すると稽古に通うのが当然になり、行かないと気持ちが納まらなくなるものだ。

初めはいやいややったり、何かの理由付けをしてサボることを考えているような稽古であっても、また他のことであっても、習慣になるように自分に仕向けていると、その内に本当に習慣化するものである。合気道上達の為の自宅での自主稽古、勉強、本を読む、文章を書くなどの行為も、忙しくて誘惑の多い生活の中では、習慣化しないと続けるのは難しい。習慣化出来ないで止めてしまうのを「三日坊主」という。

幾つになってもやりたいこと、やらなければならないと思うことがあるはずである。しかし年を重ねてくると、それがなかなかできなくなるものである。そもそも人類はこの数千年の歴史を通して、少しでも楽をするように努力してきた。それが文明となり、科学となったといえよう。人類には怠け者の遺伝子があることになるのだから、それを抑えるためには、それ以上に強力なものがなければ、何かを続けることは難しいようである。

習慣化こそこの怠けモノの遺伝子を抑え、自分のやりたいことを成就させてくれる武器だろう。合気道の稽古やその支援行為も、習慣化することである。習慣化すれば、ちょっとやそっとのことで休むことも、止めることもないはずである。習慣化したものは、自分の生活及び人生の重要な一領域を占めることになるはずである。無くてはならないものになる。

合気道の稽古が習慣化したならば、その上達のために研究することを習慣化すればよい。毎朝、たとえ30分でも自主稽古をするとか、通勤電車や昼食時間に本を読むとか、就寝前に本を読んだり、文章を書いたりすること等を習慣化するのである。それを長く続けていれば、その内に成果が表れてくるだろう。

思ったことは取りあえずやってみて、いいと思えば習慣にする。習慣が上手く運んでくれるはずである。習慣とは、「習うより慣れろ」ということである。

参考文献 『男の作法』 池波正太郎著