【第167回】 合気道は秘儀

合気道は技の練磨をしていく武道であるが、相手を倒すために汗をかいて技を覚えるためだけのものではない。技が上手い下手とか、強い弱いだけの世界でもない。それも大事だが、そんな狭い世界ではない。そこに、合気道が他の武道とは違うといわれる理由があり、それが各界の多くの人たちを魅了してきたのであろう。

人類は科学を発達させ、宇宙と人体のことが分かるようになってきたが、まだまだ未知のことも多い、というより、まだほとんど分かっていないと言ってもよいだろう。宇宙の出来る前には何があったのか、宇宙はどこに行こうとしているのか、人類はなぜ地球に出現したのか、人類には使命があるのか、もしあるとしたらそれは何か、なに者がなぜこのように精密で無駄のない人体をつくったのか、人類や生物はなぜ誕生と死を繰り返すのか、人類はどこに行くのか、等々、根本的なことは何も分かっていない。解剖学者の養老孟司氏がいうように、科学が発達したと威張っていても、人類はまだ虫一匹つくれないし、自分の死ぬ日も分らないのである。

合気道は宇宙の運行を技にしたもので、その技を練磨することによって宇宙を知り、宇宙の生成化育をお手伝いしようとするものであるという。合気道はマクロの宇宙に繋がる道であることになる。つまり、合気道の技を通して、心体を宇宙の法則に則るように導き、宇宙と一体化することを目指すことになる。この世で宇宙が実感出来るとしたら、またそれを目指すものは、ある種の宗教と合気道ぐらいではないだろうか。

合気道は、ミクロの宇宙である人体に入り込む「宇宙船」とも言えよう。稽古をしていけば自分の体が、マクロの宇宙と同じように無限大の宇宙であるし、いかに未知のものであるかが分かってくる。そして「宇宙船」で入り込み、探険し、マクロの宇宙と同じようにミクロの宇宙を少しずつ知っていき、人体の世界と仲良くなっていくのである。

マクロの宇宙を感じ、ミクロの宇宙である人体を感じれば、宇宙と人体は結びつくはずである。宇宙であるタカアマハラは自分の中にあると、開祖が言われているからである。

ゆえに、合気道はマクロの宇宙と小宇宙の人体へ入り込み、それらと一体化するための秘儀であるといえるのではないだろうか。

天文学、宇宙科学、医学、人体解剖学などの学問はあるが、それらは宇宙と人体を人類の対象物とし、対立させて見ているので、宇宙と自分が一体になるのは難しい。

合気道は科学の宿命である対立ではなく、対象物と一つになること、結びを目指すものである。

つまり、我即宇宙となるのが、合気道の最終目標ということになるのではないだろうか。合気道はそのための秘儀であるといえよう。