【第166回】 意識を研ぎ澄ます

合気道の稽古で大切なことの一つは、稽古に集中することである。稽古中に、世俗のことから抜け出せないで稽古をしても、上達がないだけでなく、相手にも迷惑がかかり、場合によっては怪我をしたり事故を起こすことにもなる。会社や家庭の世俗の事柄を道場では切り離すために、道場に入る際は儀式、つまり心を込めた礼をしなければならない。逆に言えば、礼もきちんと出来ないようでは、集中した稽古も出来ないことになる。

道場は別世界である。宇宙へ通じる道の入り口であり、自分の身体の奥深くに入っていける秘められた門でもある。この門から入っていくには、心を静め、心を研ぎ澄まさなければならない。心は意識ともいえるから、意識を研ぎ澄ませなければならないことにもなる。

技を掛ける場合には手で掛けるが、自分の手の筋肉だけでなくいろいろな体の筋肉を使う。必要な筋肉が連動して働けば、より大きな力が出る。その上、相手の筋肉も無意識のうちに遣わせることになる。自分の筋肉を制御すると同様に、相手の筋肉もコントロールしてしまうのである。

しかしながら、筋肉は感覚を持ちにくいので、よほど意識を研ぎ澄まさないと機能してくれない。研ぎ澄ました意識で筋肉を感じ、自分の体内、そして相手の体に入っていく。そして、自分の体を感じ、相手の体と心を感じれば、心と心が結びつくことになる。そこで心が体を動かすことになる。心が体の上にくるのである。これは開祖が言われた「魂が魄の上に来なければならない」に合致する理想的な姿であろう。

ここまで来れば、合気道の極意ともいわれる「相手の不足するところを補ってやる」という愛の合気道ができるようになるのだろう。

極意を得るためには、意識を研ぎ澄ますことが大事である。