【第166回】 呼吸力

合気道は技の練磨を通して上達していくが、技を遣うには力が要る。ここでいうところの「力」を、合気道では「呼吸力」という。合気道の正しい技は、この呼吸力でやらなければならない。

合気道の修行は呼吸力の養成ともいわれるほど、この呼吸力は重要であるし、呼吸力の有無強弱によって、どれだけその人の技や心が出来ているかが分るというくらい、合気道の根本をなすものである。

呼吸力という言葉は、合気道以外ではほとんど遣われていないこともあり、あまり一般的ではなく、また目に見えないので、なかなかこ呼吸力とは何ものなのかが分かりにくい。

合気道の命でもある呼吸力の養成法として、呼吸法といわれる稽古法がある。「この呼吸力養成法は、合気道鍛練上の根本をにぎる」(「合気道技法」)と言われている。呼吸法には片手取り、両手取り、諸手取り、坐技などの呼吸法があるが、これらの呼吸力養成法である呼吸法を意識して、稽古していけば、呼吸力とは如何なるものかが分かりやすいのではないかと考える。

まず、二代目吉祥丸道主は呼吸力を、「呼吸力とは、力、すなわち気力を主体とし、それに肉体的なあらゆる力を総合したもので、気・魂・体の三位一体によって現れた人間の真の力をいう。」と『合気道技法』の中に書かれている。つまり、気力と肉体の力で構成されるということである。しかも、気力が肉体の力を上回らなければならない。つまり、気力(魂)が肉体(魄)の上に来なければならないのである。

次に、呼吸力は相手を投げたり、抑えつけたりと、その両方ができる力と言える。つまり、遠心力と求心力を兼ね備えた力と言えるだろう。従って、どんなに強い力でも、投げっぱなしの遠心力だけとか、引き付けるだけの求心力だけでは、呼吸力にならないことになる。

三つ目は、呼吸力のある人に触れると、くっついてしまい、自由に動けなくなることから、呼吸力は相手に粘り付く力と言えるだろう。これを引力ともいうようだ。合気道は引力の養成法でもある。相手が手を持ったり接したりしている時に、相手と離れてしまうと、まだ呼吸力が十分出ていないことになる。

四つ目は、呼吸力が出てくるときには、相手の闘争心まで吸収し、それを消失させてしまうものであるから、呼吸力は相手を心身ともに和して一体化させるもののようだ。呼吸力とは、和する力でもあろう。

五つ目は、呼吸力は手先から出す力ではなく、体全体から出る力である。少なくとも腰からの力でなければならない。手先の力、肩から先の力ではない。坐技呼吸法で上手く行かないのは、手で操作するからである。手で操作したのでは、呼吸力養成の稽古にならず、意味のない稽古になってしまう。

六つ目は、呼吸力で技を掛けたり掛けられたりすると、気持ちがよいものであるということである。呼吸力でやると、相手の反応がよく見えるし、相手を活かそうと思い、受け身を取る相手も喜んで身を預けるようである。力ずくでやると相手は顔をしかめるが、呼吸力でやると、安心したようないい顔で受けをとってくれる。呼吸力とは、愛ということも出来よう。

参考文献  『合気道技法』(植芝盛平監修 植芝吉祥丸著)