【第165回】 恩返しのとき

合気道を50年近くやっていると、かなり古株になってくる。入門したときは、みんな先輩であったわけだが、今ではほとんどが後輩ということになる。

後輩を見ていると、自分のかつての姿が見えるようだ。何もわからないまま、技も理合もなくただ体を遣い、体で覚えていたものだ。今ではそんな稽古はできないだろうし、やる気もしないが、初心者の若者は出来るだけ体を遣って、体で覚えて欲しいと思う。

若いころの稽古では、技は遣えなかったし、そもそも技とは何かも分らなかった。ただただ相手に痛めつけられないよう、相手を投げたり押さえつけることだけを考えて稽古していた。若いうちは、一時間でも多く稽古をすれば上手くなるものと信じ、稽古に励んだものだ。

合気道とは何か、他の武道と何が違うのか、等も分らなかった。道場ではよく大先生にご説明頂いたものだが、さっぱり分らないし、不謹慎にもお話より早く体を動かしたくてうずうずし、足の痺れも気になって、大事なお話も真面目に聞かなかった。今では非常に後悔している。

難解な大先生のお話を、師範や先輩が解説してくれれば、少しはわかって、大先生のお話をもっと真剣にお聞きしたのではないかと思うが、どうも先輩たちも同じようにわかっていなかったようであった。

先輩がどんどんいなくなって、後輩がどんどん増える。そして、自分もいずれ消えていく。そして、今の後輩が先輩となっていく。それが世の常であり、宇宙の法則である。この法則には、宇宙生成化育のための訳があるように思える。それは、新陳代謝ではなかろうか。 宇宙は137億年の現在も完成していないし、完成までにまだまだかかりそうだ。一代の人類では決して宇宙の生成化育のお手伝いができないだろうから、代を替えて宇宙生成化育に携わっていくのであろう。人から人へバトンタッチしていくシステムなのだ。そのため、先輩や先人が担っている義務や培ったモノを、後人へ引き継ぐことが必要になることになる。

引き継ぐことは無限にあるし、多種多様である。世界の67億人は、それぞれ引き継ぐものを持っていることになろう。子供を産み育てる、子供を教育する、知識や知恵を残すなどなど、沢山あろう。一人一人がその引き継ぎの任を帯びているはずである。それが人の使命ということになるのだろう。

高齢者になってくると、自分の使命は何なのか、自分は使命を果たしているのかと、考えるようになってくるようだ。子供の笑顔を見ると、この子たちのためにいいものを残してやりたいと、つくづく思う。

合気道でも、自分たちが学んだことや発見したことを、後人に引き継いでいくべきであろう。今まで自分が先人から学び、引き継いできたことを、自分たちの後人に引き継ぐのである。恩返しのときが来たようである。