【第164回】 和す

合気道は武道であるが、他の武道とは異質である。武道とは元来、敵を制する術を身につけることを目的とする修練方法と言えよう。その修練を通して心身を鍛えたり、自己完成を目指したりするものであろう。

合気道も武道であるからして、相手を倒したり、押さえたりできなければならない。だが、他の武道と異なるのは、相手を倒したり押さえるのが目的ではなく、正しいプロセスの結果として相手が倒れたり崩れるようにするのである。従って、技を掛けた結果、他の武道でも合気道でも相手は倒れていなければならないのだが、それを目的とするのと過程の結果とするとの違いがある。敵が倒れていなければ、他の武道の場合には明らかに負けである。けれど、合気道の場合はそのプロセスがまだ未熟ということになる。他の武道や武術では勝つという結果が大事だが、合気道は技を遣うプロセスが大事なのである。

合気道が他の武道と違うと思われることのもう一つに、相対(あいたい)稽古の相手は敵ではなく、自分の分身と考えて稽古をしなければならないことである。もちろん、これはそう簡単なことではないが、そうしなければ合気の道は進めないと思われる。相手を敵とすると、敵にやっつけられないように、または敵をやっつけようと思ってしまうので、肝心の道が求めるものを見失ってしまうことになって、修行の意味がなくなるからである。

相手を自分の分身にするには、相手と争っては駄目で、相手に和さなければならない。相手と結んでしまうことである。そのためにどうすればいいのかというと、先ず心を円く体三面に開くという心構えと体勢から、

等などに注意すれば、相手は敵ではなく一体化でき、和することができるであろう。

だから、稽古が終わった後は、相手に自分の分身となって稽古してもらったことに、心からのお礼をしなければならない。そうすれば、受けを取った相手も、争いの心を持たずに気持ちよく稽古ができ、相手をしてもらったお礼をするはずである。