【第163回】 合気道の力学

合気道の技は、力が要らないとか、米ぬか3合持つ力があれば出来るなどと言われている。もちろん初心者には出来ることではないし、ある程度の力がないものと出来るはずがないので、これを鵜呑みにするのは危険であるが、合気道の技にそれほど力を必要としないということは確かなようだし、また根拠があると考える。

相手がいないで一人であれば、自由に動けるし、力もほとんど遣わない。だから、先ず相手と結ぶことである。二人が一人になることである。一人ならば思うように動けるし、争う必要もない。二人であれば、争いになる。争えば力の世界になり、力が幅をきかせることになる。これでは、合気道に力は要らない、ではなく、力は要る、あるいは、「合気道は力である」になってしまうことになる。結ぶとは、「和す」ことである。和せば、力は要らなくなる。

相手の最初に触れたところが、結ぶ箇所となるが、その箇所に緩みが出たり離れないように意識を集中しながら、「入り身」をし「円転の理」を遣うのである。 「円転の理」を遣うとは、足や体にしっかりした中心をもって、その中心を左右交互に変えることによって、相手に自分の体重を及ぼすことが出来ることである。体重が60キロだとすると、相手には60キロの力が掛かることになるので、大概の相手はこの力には耐えられないはずである。つまり、こちらが別段力を入れなくとも、自然と体重が相手に及ぶのだから、力は要らないということもできるだろう。

また、自分の中心をしっかり持って、この理合で動くと、遠心力と求心力で相手を投げ飛ばしたり押さえ込むことが出来るわけだが、さらに相手の攻める気持ちと動きに、自分の気持ちと動きを上乗せしてやれば、相手は倍の力で加速して動かされることになる。その結果、相手は倍に加速した力に自分自身が耐えられなくなって、自ら崩れてしまうのである。相手の手の上に、自分の手を添えて、体や足を中心にして円転すると、力は倍加して、相手を自由自在に動かすことができことになる。相手の力に自分のものを一寸足すだけだから、力はほとんど必要なくなるわけである。

しかし、相手が力を出して来なかったり、力を止めてしまうと、自分の力を加えることができないので、無駄な力が要ることになる。それ故、相手が力を出すよう、また「相手の仕事の邪魔をしない」ように、技を掛けなければならない。この意味で、まともに正面衝突する「正面打ち一教」は難しい。

繰り返すが、力はあった方がよい。あればあるほど、よいはずである。しかし、その力をなるべく遣わないようにすることが稽古である。その為には、合理的な力の遣い方をしなければならないし、理に合った技遣いの修練をしていかなければならないのである。

力をつけながら、合理的な力学に則った稽古、相手の力に和して、相手の力に自分の力を加える力の遣い方を、していくことである。そして、力の要らないような合気道にしていくことが、上達の秘訣であろう。