【第158回】 合気道は陰陽の教え
世の中のものはすべて裏表、陰陽、プラスとマイナスとなっており、決して片方だけでは存在しない。片方だけで存在したものがあったとしたら、古事記の世界の天の御中主、タカミムスビ、カミムスビ等のひとり神たちだけだろう。日常生活においても、科学の世界でもこの陰陽(表裏、プラスマイナス)は認められているが、人は自分に都合のいい方だけを取って、他方を無視したり、排除するので時として間違ってしまったり、成果を上げることができないことになる。
合気道の技は陰陽の思想を基に出来ているといえるし、また陰陽の教えが分かり易く実践出来ると思う。しかし、言葉や文章ではどうしても片方しか表現できないらしく、他方が隠れてしまうので、よほど注意して見ていかないと隠れた方を見逃したり、叉は無視したり否定するなど、誤解を招くことになる。
陰陽とは正反対のものが一緒にあって共存しているということであるから、双方はお互いに矛盾し合うことになる。合気道は見方によっては矛盾だらけといえるだろう。
合気道でその幾つか矛盾するものを挙げてみるが、先ず、思想、哲学面の例としては:
- 合気道の修行そのものが矛盾しているといえる。何故ならば、決して自分の技が完成しないことがわかっていながら、それでも技の完成を目指す修行をしているからである。
- 「合気道は力がいらない」、しかし力はあった方がよい。:
力は強い方がよいが、その力をなるべく少なく遣うようにすることが大事なのである。力があれば遣いたくなるのが人情。難しい。
- 「合気道は相手を倒すのではない」。しかし技を掛けて相手が倒れていなければならない。:
倒すのが目的ではなく、正しい過程の結果として相手が倒れるようにしなければならない。倒さずして倒れるという矛盾である。
- 「相手を活かす」。相手を殺してはいけない。:
武道である以上、相手を殺していなければ自分がやられてしまう。まず相手を殺し、後は活かすように導いてやればいい。活かすために殺すという矛盾である。
- 「ぶつかってぶつからない」:
ぶつからないためには、まず気と体が相手にぶつからなければならない。気の体当たり、体の体当たりをして、はじめてぶつからないようになる。ぶつからないようにするためには、まずぶつからなければならない。矛盾である。
次に技の面での例としては:
- 合気道の技は基本的に裏(うら)表(おもて)、つまり入身と転換の陰陽で構成されている:
裏表で完全であるから、技は裏表の両方が出来るように稽古をしなければならないことになる。また裏は裏だけの裏でなく、表と背中合わせになっている裏でなければならないし、表も然りである。これがないと技に厳しさがなくなってしまう。
- 手と足は左右陰陽で連動して動かなければならない:
陽の手足の動きが極まったところで陰になり、陰の手足が陽に変わる。
陽は陰であり、陰は陽ということになる。
- 陰陽の手:
相手に触れている手は、出すだけでも引くだけでもない。出しながら引く手、プラスとマイナスが調和したものでなければならない。プラスとマイナスが合わさってゼロになったところに大きなエネルギーが出てくる。これが呼吸力となり相手に結ぶのである。手の働きにも、陰と陽が共に働いていることになる。
- 陰陽の力を働かさなければ技は効かない:
二教や三教や四教などの関節技でも、出すと引くの陰陽の両方の力を一緒に遣わなければ効かない。技を掛けるときも、お互い相反する陰と陽を同時に遣わないと技は効かないものである。二教の裏が効かないのは、陰の力(吸収する力)を遣っていないからであるとも言える。
- 下ろす時は上げ、上げる時は下ろす:
抑えられたり、抑えている相手の手を上げようとしても、ぶつかってしまって上がらないものだ。上げる時は手を下げる。典型的な例は片手取りの「呼吸法」「四方投げ」それに「天地投げ」などであろう。
逆に、下げるときには上げるといい技の典型的な例としては「四方投げ」がある。最後の切り下ろすところで相手が頑張ると、相手の手が下ろせなくなるが、そのときは相手の上腕が垂直になるように上げてやれば、相手が自分から倒れてくれるようになる。慣れてくれば、技をかけるときは、常に上げも下げもできる状態にしておくことが出来るようになり、相手をやりたいようにさせながら、相手を絡め取ってしまうことができるようになる。
紙面の関係でこれまでとするが、合気道が陰と陽という矛盾が共存することを認識し、それを身につけていかなければならないだろう。
Sasaki Aikido Institute © 2006-
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