【第153回】 中心をとる

技を掛けたとき上手くいかないのには原因がある。その原因、理由は一つや二つではなく、沢山あるはずである。極端にいえば、無限に近くあるといえよう。ただ本人が気づいていないだけなのだ。だから、技をマスターすることは難しいのだろう。

技が上手くできるために重要なことのひとつに「中心をとる」がある。これには、自分の中心をとることと相手の中心をとることがある。

まず、自分の中心をとらなければならない。開祖が言われた「天の御中主」にならなければならない。つまり立った姿が、天と地と繋がって宇宙の中心にならなければならないということである。しっかりした縦の軸をつくるのである。

頭と背骨と仙骨が一本の軸となって天と地に繋がるよう意識することである。初心者はこの軸がゆがんだり、傾いたり、ひ弱かったりするので、力が出ないし迅速に動けず、技も上手く掛からないことになる。これに関連して、技が上手くいかないもうひとつの大きな原因は、縦軸がしっかりしていない内に、横に体や手足を動かしてしまうことがある。典型的な例は、「正面打ち入身投げ」での入身である。自分の中心が取れていないとスムーズに動けず、「入身」(相手の死角に身を入れる)が難しい。中心がしっかりしていれば、太刀や短刀に対する捌きでも自由に入身できるようになるはずである。

また、相手の中心に自分の身を置かなければ、相手と結べず、自分が自在に動くことも、相手を自由に動かすことも難しい。自分の中心に相手を捉え、相手の中心に自身の身を置くことによって、相手と結んで一体となれるので、技が上手く掛かるのである。

「中心をとる」には、力を自分の中心に集めるという意味もある。技を掛けるのに遣う手は、体の中心である腰腹と結び、体の中心にある線上になければならない。手がこの中心線を少しでも横にずれれば力は半減してしまうので、相手に返されてしまうことにもなる。

片手取りなどで相手につかませるために手を出す場合も、出す手はやはり相手の中心線上に出さなければならない。また、四方投げなどで切り下ろして投げるときも、手は中心線上を下ろさなければならない。これが少しでも中心から横にずれてしまえば緩みができ、結びが切れてしまうので相手を生き返らせてしまい、1+1=2になってしまうので争いの基をつくることになるので、合気道ではないものになる。

「中心をとる」には、目に見えない、心理的、精神的な意味もある。人間はひとりひとり皆、外観も考えも違うのだが、ずっと深いところでは皆が同じものを持っており、そこで皆は繋がっているといわれ、またそう思う。合気道の稽古は、その人類共通で繋がっているものに働きかけなければならないように思える。それが更に、人類と動植物、自然そして宇宙との繋がりを感得できるようにしなければならないのではないだろうか。目に見える表面的なものだけを追いかけるのではなく、人間の心の中にある、深いところにある万物共通の中心を捉えるべく、修行に励まなければならないということである。

合気道の稽古で、中心を取れるようになれば、ビジネスでも日常生活でも、中心を掴むことができるようになろう。表面的なことに惑わされることなく、末端の些細なことに空回りさせられることもなく、最適な判断や処理が最短距離で無駄なくできるはずである。先ずは、合気道の技の稽古で「中心をとる」稽古をし、合気の体と精神をつくらなければならないだろう。