【第151回】 軸、中心、接点、支点

合気道の道を進むには、「わざ」(技、業)を練磨していくほかない。自分がやっている「わざ」が正しいのか、合気の理にあったものかの判断をするのは難しいものだが、合気道は相対稽古なので、自分の掛けた「わざ」に相手が反応するので、分かりやすいだろう。また相手も理合の「わざ」を求めて稽古をしているわけだから、理に合ったいい「わざ」遣いをすれば、納得することになる。ということは、いい「わざ」であるかどうかは、自分もそうだが、相対の相手が納得するかどうかによるといえるかもしれない。

相手が納得するのは、無理のない、無駄のない、摩訶不思議な「わざ」遣いであろう。つまり、理に適っていて、余計なことをしない「わざ」であり、修練を積まなければ出せないような、通常でない力、非日常の力を遣うことではないだろうか。

合気道の稽古は、技を掛けて相手を倒したり、倒されたりするが、稽古の目的は、相手を倒すことではない。しかし、技を掛けても相手が倒れなければ、その技は効いていないし、未熟ということになる。相手が倒れないと、自分の未熟を忘れてしまい、また真の稽古の目的を忘れてしまい、大概はがむしゃらに倒そうとしてしまうものだ。でも、それは合気道の理合に適わず、力も十分出せずに力不足になるので、技は効かないし、自分でも納得しないことになる。

合気道で重要なのは、倒すまでのプロセスであって、理に合ったプロセスの結果、相手が倒れるようにしなければならないのである。これが合気道と、勝負を目的とする武道や武術やスポーツとの大きな違いである。相手を倒すのではなく、プロセスの結果で相手が倒れるためには、デリケートな体遣いをしなければならない。

相手を技で倒したり、押さえるには、相手に触れている接点に出来るだけ大きな力を集中しなければならない。接点の大部分は合気道の場合手となるので、手先に力を集中して遣うことになる。手先に集中する力を最大にするのである。開祖のように神さまの力に頼らないとすれば、大きな力の元は、地や床に接している足であり、その力を貯め、増幅する腰腹であろう。腰腹の中心線が足と脚の軸から他方の足と脚の軸に移動したとき、全体重プラス地や床からの抗力の非日常的な大きな力が出る。これを手に伝えればいい。

手先まで伝えるためには、手先と腰腹がしっかり結んでいなければならない。その為には、手先は常に体の中心線上にあるようにし、手先を動かすのではなく、腰・腹を遣って手先を動かさなければならない。また、肩を貫くことも大事である。

手先まで腰腹からの力が伝わったら、その力を効率的に、また増幅して遣うようにしなければならない。その為には、接点と支点を大事に使わなければならない。相手と接している接点に力を集中し、相手を引き出したり、崩すわけだが、理に合わない手の遣い方をすれば、接点が切れてしまい、相手と離れてしまったり、力が逃げて技が効かなくなってしまうことになる。接点を上手に遣うためには、支点がなければならない。

そして、その支点をぶれないようにし、支点を中心に接点を回転しながら遣わなければならない。このためには手がしっかりしなければならない。特に、指、掌底が柔軟で、しかも力負けしないように鍛えなければならない。

技を掛けるために、最大限の力を出し、そしてそれを効率的に遣うためには、足の軸、体の中心、手や指の支点、手首や掌底などの接点と結び、連動して遣うことが大事であるようだ。