【第149回】 技が出来る程度にしか分からない

合気道を本当に修行しようとすれば、誰でも合気道の思想、哲学を探求したいと思うことだろう。そのためには、開祖、植芝盛平翁が言葉と文字で残された合気道のバイブルともいえる『武産合気』や『合気真髄』を読むわけだが、大概のひとは、その難解さからギブアップしてしまうのではないか。

合気道の教典である『武産合気』と『合気真髄』は、通常の書籍と違い、理路整然としているわけでないので、頭でひねり回しても分からないのである。開祖は生前よく、「古事記」を勉強しなければならないといわれていたが、話をされた際にも、「古事記」に出てくる神さまの名前や言葉を使って説明されていた。聞いているひとのほとんどは、開祖の有難い説明が理解できなかったようで、かえって外部から見学に来られた宗教家や思想家などの方が理解され、感激されていたように思えた。

『武産合気』や『合気真髄』をのぞくと、イザナミ命とイザナギ命、正勝、吾勝、勝速日、顕界・幽界・神界の三界、天之浮橋にたつ、小戸の神業、宇宙の大虚空の修理固成、天の村雲九鬼さむはら竜王、宇宙の万世一系の理等々、見慣れない単語が頻繁に目に飛び込んでくるので、始めはほとんどのひとがその意味することをわからないだろう。

しかし、開祖は、「天之浮橋に立たなければ合気はできない」とか、「人は顕幽神三界の理を悉く胎蔵し、これを調和する主体にならねばならない」とか「合気はこのナギナミ二尊の島産み神産みに基礎根源をおいている」等々と言われており、この書物に出ている言葉と事柄が分からなければ、合気道は永久に修得できないことになるか、または合気道とは別物になってしまうことになる。

上記の本に使われた開祖の言葉を理解するのは、そう容易ではないだろう。何故ならば、開祖が使われている言葉は、学校で教わるような型にはまった窮屈なものではなく、大きな力を備え、自分と宇宙をむすぶ、究極的な知恵であるはずであるからだ。これは頭だけでは到底理解できないもので、体を通してしか分からないと思われるからである。「天之浮橋」にしても、体で感じ、それを技を通してやってみてはじめて分かるものなのだ。

開祖の言葉が分かるためには、技がきちんと出来なければならないことになる。そして、技が出来る程度に、開祖の言葉が理解できるようになる。

技である程度出来るようになってくると、開祖のある言葉の意味することが、それだけ分かったことになる。そして、その技を繰り返して稽古することによって技が更に練磨され、その言葉の意味もどんどん分かってくるだろう。それを繰り返していけば、思想と技が進化し、だんだん開祖の言わんとされたこと、合気道の思想、哲学が分かってくるはずである。

結局、『武産合気』と『合気真髄』を理解するため、つまり合気道の思想と哲学を理解するためには、目で見、頭で理解するだけではなく、技を通し、体で会得していかなければならないといえよう。