【第143回】 体の感じを大切に

合気道は、勝ち負けを争うものではない。合気道には試合がないので、稽古が甘くなるという短所はあるが、それ以上の長所があると言える。その一つは、相対(あいたい)稽古で相手を倒すことに専念しなくてよいので、もっと他のことに集中することができるということである。例えば、相手が掴んでいる手の感じ、技を掛けた時のその手を通しての相手の反応や、自分の気をぶつけたときの相手の反応などを感じることができる。これは感覚を研ぎ澄ませて、雑念を払い、集中しなければ、感じることはできないものだろう。相手を倒すことばかりに捉われていては、出来ないことである。

相手を感じるためには、敏感な体にならなければならない。そのためには素直にならなければならないだろう。素直とは、自分に対して素直になること、次に自然に対して素直になること、そして恐らく宇宙(一元の神)に対して素直になるということだろう。自分に素直になれれば自分の体の感じが敏感になり、 自分も相手もより深く感じられるようになろう。体は嘘がつけないので、体が正邪の判断を正しくしてくれるはずである。体に感じたことに従い、体の指示に従えば正しい道に導いてくれることになるだろう。

相対稽古での体の感じを鋭敏にする稽古をしていけば、次にだんだんと身の周りのものも感じるようになるだろう。体で感じるというのは、目や耳や肌などで感じることだが、これは現代科学的に言えば、波動を五感で感じるということであろう。

一番身近な波動は音であるが、人だけでなく、動物も鳥も虫もみんな自分の意志を示さんと声や音を発している。すべての音(波動)には意味があり、その中に一つの共通の秩序があるようだ。うれしい時の声や音(波動)はうれしそうに、悲しい時は悲しそうに。万物、すべて同じなのではないか。地球も音(波動)を出す。風の音、海の波の音、山のうなり、地ひびき(地震波)等々も同じである。すべての音(波動)には意味があり、何かを我々に訴えているようである。

すべてが波動を出して響いている。多分、宇宙のすべて、宇宙そのものも響いているのだろう。何かを伝えようと響いているはずだ。開祖は、このヒビキに自分のヒビキが合えばよい仕事ができる、と言われている。これが合気道の妙諦である「山彦の道」というのかも知れない。

合気道の妙諦を得るためにも、まずは体の感じを大事にしながら、鋭敏な体をつくっていかなければならないだろう。