【第141回】 意識化

武道・スポーツだけでなく、踊りや舞でも、体を遣って技を決めたり見せたりするものは、何度も何度もその動きを繰り返し練習しなければならない。はじめは型を頭で覚え、頭で試行錯誤しながら手足を遣い、次に頭で指示を出さなくても体が動くようにしていく。脳学的にいえば、大脳から小脳へ移行することであろう。

だが、よほど注意をしていないと、つい大脳を遣うことを省略して、あまり意識しないままに体を動かしてしまう。そして、自分の行動パターンを作ってしまう。これが癖ということになる。

確かに、いちいち目で見て、頭で確かめ、頭で指示を出し、それに手足が従っていては、ロボットのようにしか動けないだろう。しかし、慣れすぎてしまって、ただ動くだけでも意味がない。大事なことが見えず、上達につながる要因を見逃してしまうことになる。

普段、無意識で何気なくやり続けていることに、大事なことが隠されているものである。お辞儀、正座、歩行から手の上げ下げ、手の位置、足運び、息遣い、そして技を掛ける時の手の動きの軌跡等など、いくらでもある。昔からやられていること、続いていることには、大事な意味があるはずである。

意識をしていないこれらのことを、まずは一度意識してみることが必要であろう。そしてその意味を考えてみるのである。その意味が分かれば大事な発見があるだろうし、自分がそれまで無意識でやってきたことを修正したり、改善できるだろう。これが上達に繋がるはずだ。

例えば、諸手取り呼吸法で、持たれている手をただ上げて振り回すのではなく、まずこちらの一本の腕を相手は二本の腕で押さえつけているということを考えなければならない。一本では二本に敵わないはずだから、二本の腕に敵うようにしなければならないのである。

二本の腕より強いものは胴体ということになる。どんなに太い腕でも胴体より太い腕はない。それが分かれば、胴体(腰腹)を遣った稽古をするようになるだろう。そうなれば、この諸手取り呼吸法の目的、意味も分かるはずである。これが「道」である。「道」が通れば、あとはその道を進めばよい。次に、無意識にできるまで体に覚えさせればいい。つまり、少なくとも「道」を見つけるまでは意識化が必要である。

準備体操一つにしても、その体操の意味と目的を考え、無意識にお座なりにやるのではなく、目的に適うべく気持ちを入れてやるべきであろう。体操も一挙手一動無駄にならないように意識化してやらなければならない。

合気道の技には大事な「宝」が沢山凝縮されている。それを一つ一つ意識化した稽古で、その意味を見つけ出し、「道」をつくり、そして次の次元の扉につなげていけばよいだろう。