【第14回】 明日につながる稽古

合気道の稽古でよく見かけることは、例えば二教が効かなくてお互い頑張りあい、本来の二教とは違った稽古になってしまうことである。これは、ほとんどの人が経験することであろう。
確かに技が効いて相手が崩れるのは気持ちがいいし、技が効かないのはしゃくにさわる。しかし、技が効かないのにはそれなりの理由があって効かないのだからどうしようもない。出来ないことは出来ないのである。特に相手が自分より長く稽古している場合はおそらく無理だろう。それでも二教をきめようとして体制やプロセスを崩したりすると、それで効く場合があるかもしれないが、大体は無駄なあがきに終わる。一生懸命やってもできないことがあることも知らなければならない。

技の厳しさで定評があった本部師範の故有川師範は、生前よく「技は効かなくともいいし、失敗してもいい」といわれていた。勿論、師範は稽古を安易に、気楽にやれと言われていたわけではない。言わんとされたことは、効かそうとして無駄なことをするのではなく、実のある稽古をしろという意味である。実のある稽古というのは、先につながる稽古である。たとえ今効かなくても、1年後、10年後に出来るようになるための稽古である。二教の場合、例えば、相手の手を押さえている時の両手のしぼりであり、これを意識して鍛錬するのである。はじめは弱いが何年も繰り返して稽古することによって二教の形や動きができてくるし、必要な筋肉がつき、多様な筋肉が結びついてくるのである。この必要な筋肉と両手のしぼりができなければ、二教は効かないはずだ。

稽古には正しいプロセス、道があるはずである。まず、その道のあることに気付いて、相手を崩す・倒すにとらわれるのではなく、その道を焦らず、辛抱強く進まなければならない。そうでないと、本来の道とは違う道にいってしまい、1年、10年経ってもなんの積み重ねも残らず、無意味な稽古になってしまう。稽古は、一所懸命ということで今も大事であるが、明日につながる稽古をする"今"が大事なのだ。