【第14回】 声

地方の合気道道場は知らないが、本部道場では稽古は静かに行われる。稽古初めと終わりの挨拶と船こぎ運動の時ぐらいしか声を発しない。
40年ほど前にはときどき掛け声をかける師範や稽古人がいたが、今は掛け声をかけるのはご法度である。

開祖は、技をやるには声、掛け声は大事であると言われていた。「天地の呼吸に合し、声と心と拍子が一致して言霊となり、一つの技となって飛び出すことが肝要で、これをさらに肉体と統一する。声と肉体と心の統一が出来てはじめて技が成り立つのである。」(合気道神髄)
しかし、晩年の開祖も道場での稽古は掛け声のない静かなものだった。

声、掛け声が大事としながら無声で稽古をするとは矛盾しているように一時思えたが、考えてみると、時代や環境には合っているかもしれない。それほど広くない道場でおおぜいが大きな掛け声を掛け合ったなら、恐らく殺伐とした稽古になっていくだろうし、近所の住民も気にするだろう。
しかし、開祖が言うように「声」を発することは大切である、とすると矛盾ができる。

力を出すときには「声」を出したほうが効率がいい。モノを持ち上げるときや、剣道、柔道、空手やテニス、卓球などのスポーツなど、あるいはブルース・リーの掛け声は有名である。
「声」を発して呼吸横隔膜と骨盤横隔膜を働かすと、身体の機能(力や安定性)を効率よく引き出されるという。
しかし、この呼吸横隔膜と骨盤横隔膜が働くなら、実際に「声」を発しなくとも肝に力を入れるだけで身体から最大限の力を出すことが可能である。
合気道の稽古では、技をかけるときは「声」は発しなくても、声を出さない掛け声、気合を肝でやるということだろう。