【第137回】 自己の使命

人類が地上に出現して十数万年、文明を持った人類の歴史はせいぜい1万年足らずであるが、人類は生まれては死に、また生まれて死んでいくという繰り返しでもある。考えてもしょうがないし、意味がないかもしれないが、なぜ人は死ななければならなくて、そしてまた新しい人が生まれてこなければならないのかを考えてみると、不思議である。生物が地球上に出現し、生息するのも不思議であるが、誕生してはちょっと生きて、死んでいく。また代わりが出てきて、また消えていく。この繰り返しが一万年、広い意味では十数万年続いているのである。

例えば、なぜ、はじめに出現した「人」が今日までずっと生き続けられなかったのか。もし数万年生きた数万歳の人がいたら、その人の知恵は我々が想像できないほど膨大に蓄積されているはずだろうから、現代の我々が夢見る「万能の人」「神」に近いものになっただろう。そうすれば現代のような馬鹿々々しい争いなどせず、平和な地球を創り、宇宙の生成化育を促進したのではないだろうか。もし神さまがいるなら、宇宙や地球を創った神さまは、なぜその選択肢を取らなかったのだろうかと考えてしまう。

合気道の目的は、宇宙が目指すところの宇宙建国完成への生成化育の道を守っていくことであるという。この理想の宇宙の建国は一人や数人では出来ず、地球人類が一家族となって力を合わせていかなければならないという。人はそれ故、大宇宙の分身、または神の分身ということになり、大宇宙からそれぞれその生成化育のための使命を帯びることになる。開祖はこれを、「神の営みの分身分業たる自己の使命を果たすことです」と言われている。

大宇宙の建国完成には、膨大な人間が必要であることは想像できる。数万年前にアフリカに出現した人類だけでは不可能であるし、たとえ地球上が人類で今のように飽和状態になったとしても、それだけでもまだ不十分であろう。またこの人達が、例え10,000歳だとしても、やはり体力や気力などの衰えはあるだろうから、若いエネルギーは必要だろう。体力や気力のある新しい人間を誕生させ、そのバランスとして役目を終わった人間には去ってもらうということなのかもしれない。

自己の使命を果たすことが大事であるということだが、自己の使命にもいろいろあるだろう。新しい発見をしてノーベル賞をもらったり、書き物や絵画、芸能、音楽などで人に感銘を与えたり、喜びを与えることも使命であるし、子供をりっぱに育てることも使命であろう。また、社会で働いて社会や人類を物質面で豊かにするのも立派な使命である。

しかし、合気道を修行するものは、宇宙と合気することによって、心の目を開き、宇宙の声(「神の至誠」)を聞き、その声を実際に行なうことが自己使命であり、これを真の自己使命であると言う。

真の自己使命が何かが分かり、それが実行できれば、その人は幸せなはずである。なぜならば、達成感を持つと同時に、自分がなぜ生まれ、生き、そして死んでいくのかの意味も分かるかも知れないからである。

参考文献  『合気道技法』(植芝吉祥丸著)