【第136回】 時の流れを遅くする

誰でも思うことだろうが、子供の頃の時(時間・日・月・年)はゆっくりと進み、一日、一週間、一ヶ月、一年が長かったのに、年を取るに従い、それが短くなっていく感じがする。小学校の夏休みなど長すぎで、早く休みが終わればいいと思ったし、遠足、運動会、お正月など、指折り数えたが、なかなか来なくて待ちどうしかったものだ。

それに比べて、高齢者になると時の流れは相当早くなっているように感じるし、世間でもそう言っている。一日、一週間、一ヶ月、一年があっという間に過ぎてしまい、月日の経つのがなんと早いことかと、寂しく感じさせられる。

時の流れの早い遅いというのは、このような一般的な感じ方以外にも、ある瞬間には時の流れを長く感じたり、あるいは遅く感じたりするものだ。真夏の暑い日に一生懸命稽古をしているときの時間の進む遅さや、快適な稽古をしているときの時間の経つ早さなど、いろいろある。

人は毎日、習慣的に同じ事をやるが、それまで体験したことのないことをやったりもする。そして、今日はいい日だったとか、面白かったとか、そうでなかったと思う。いい日と思うのは、何かをやったという実感を持てる日、何か新しい発見があった日であり、自分が成長した日ではないだろうか。

何かに没頭して取り組んでいる時の時間の流れは早い。もっともっと時間が欲しいと思うものだ。だが、後日、この日、週、月、年の事を思い出してみると、長い一日であり、週であり、月であり、年であったように思う。逆に、何もしないでいると、一日も週も、月も、年もそのときは、時の流れが遅く、長く感じるが、その後でその時を振り返って見ると、あっという間に過ぎてしまったと思えるものだ。

『象の時間、ネズミの時間』やアインシタインの相対性理論「宇宙には無数の空間と時間が存在する」等では、時間の一部は数式化できるようだが、人の時間、つまり時間感覚を科学するのは、まだ出来ないようである。

誰でも、一年を振り返って、今年はあっという間に過ぎてしまったと思えば寂しいだろう。それというのは、今年がそうなら、来年も寂しいかもしれないし、死ぬときも寂しい思いをするかもしれないと思うせいかもしれない。

今年はいい年で充実した年だったと思いたいものである。いい年というのは、自分の達成感、成長と変化、新しい経験と発見があったような年であろう。一生懸命やっている一年とは、もっと時間が欲しいのに、あっという間に流れ去ってしまうという感じを覚えるものだが、後になって振り返ると、そういう年は長く、幅広く、底の深い年であったと思える。結局は、時の流れが遅かった年という時間感覚を得ることになる。そういう時間感覚が得られるように、毎日を過ごすようにすれば、一年はよい年になるだろう。そうすれば、年々時の流れが早くなるなどという不平をいうこともなくなるだろう。

参考文献: 『一年は、なぜ年々速くなる』(竹内 薫  青春出版社)