【第134回】 技化(わざか)

合気道の稽古は、はじめは体をつくることが中心になるので、力一杯やることになる。特に、若いうちは力をつけなければならない。合気道は力が要らないともいわれるが、その意味するところは、力をつけるがその力を使わなくてもいいようにやるのが理想であるということであり、力はあればある方がいい。

年をとってくると、力をつける稽古はできなくなってくるが、力でやってくる元気な若者とも稽古をやらなければならない。だが、若者と同じようにやったのでは体力負けするだろうし、先に息も上がってしまうだろう。高齢者になれば、若者とも対等以上にできるような稽古のやり方に変えなければならないことになる。

力一杯稽古をすれば、どうしても癖が出てしまい、「わざ」(技と業)が乱れてしまうし、力も効率よく遣われないことになる。若者は元気ではあるが、「わざ」はまだまだ未完成と言えよう。自分の「わざ」が出来てくるのは人によっても違うが、30年、40年は掛かるようだ。5年や10年ではとても満足にできるものではない。

高齢者は自分の「わざ」を作り上げていくことである。自分の癖を取り、動き、呼吸、手さばき、足さばき等を「技化」(わざか)し、身につけていくことである。「わざ」は無限にあるが、一つでも多く自得することである。「わざ」を一つでも多く使えるものが、そうでない相手を抑えられることになる。多少のパワーでも技化なった「わざ」なら制することができるので、元気な若者でも自由に動かすことができるようになるはずである。

「技化」とは、それを意識しなければ唯の動きであるものを、機能的で、無駄がなく、美しく、自然で、宇宙の営みに逆らわない動きに練磨し、それを型(パターン)化して身につけて行くことと言えるだろう。幾つか例を挙げれば、相手との接点は初めは動かさない、手足は陰陽に連動して遣う、ナンバの動き、体の表を遣う、支点を動かさない、ぶつかってぶつからない、肩を貫く等々である。この「技化」したものを「わざ」といってもいいだろう。

高齢者は、力の若者と同等の稽古をせずに、技化をした「わざ」でやるべきである。そうしなければ行き詰ってしまうだろうし、体を壊すことにもなりかねない。