【第134回】 自分の型をつくる

開祖は勿論のことであるが、合気道の先人、先輩には多くの上手がいた。上手というのは、上手く投げ飛ばしたり、抑えることができるだけではない。立ち姿から、技を掛ける動きや姿勢、投げ終わったり抑えた後の体勢などに、隙のない、無駄のない美しさをもっているのである。

武道である合気道は、非日常的な世界のものであるから、日常の考え方や体遣いでやっても上手くできない。深い稽古をするならば、これまで日常生活でやってきた習慣や癖を、武道の考えや体遣いに変えていかなければならない。しかし、これは容易ではない。何十年も日常生活の中で無意識に積み重ねてきたものを、その中のある物は残し、ある物は切り捨て、ある物は全く逆にしなければならないからである。

合気道の技を上手く遣えるようにするために必要な事の一つに、「型(パターン)をつくる」ということがあるだろう。まずは、技を掛ける前の構えから、技を掛け終わったときの体勢までの型である。ここで型とは、姿・形、姿勢、体勢、動き等を含めていう。

はじめの型は、技を掛ける前の体勢である。どんな攻撃にも素早く、確実に対応できる体制をつくることである。開祖は、「心を円く体三面に開く」(写真)と言われている。相手の中心を捉え、気で体当たりして、半身に構える体勢の型である。ただ突っ立っていたり、猫がネズミを狙うような攻撃丸出しの構えでは、次の動作が出来にくく、相手の掛けてくる攻撃に対応できないことになる。自分が一番動き易く、安全で確実な型をつくらなければならない。

技を掛け終わったときの型は、収めの体勢であろう。技によって違うが、大事なことは、相手が反撃する気を削ぐための残心、投げた相手から反撃されても防御も反撃もできる体勢(例、呼吸法で投げた後、両手を腹の前に伸ばす<写真>)、つまり次の動作にいつでも入れる体勢をとることであろう。

技を掛けるとき、体勢や動作がめちゃくちゃでは技は上手く決まらない。技が上手く効くには、決った型があるようだ。決ったというのは自然で、多くも少なすぎもしないというもので、これが宇宙生成の営みに則ったものなのだろう。この型に入ると相手は抵抗しようとしなくなり、喜んでくっ付いて倒れてくれるようなのだ。動き、動作にも、型をつくらなければならない。開祖はその例として、「天の浮橋に立つ」「十字」「△〇□」などと言われている。

我々の段階で技を上手く掛けるための共通の型としては、先ず相手の中心(腹、丹田)にぶつかって、結ぶ。結んだら、結んだ処が相手との境界線になるので、その境界線上を動かし、自分の腹を中心にした円の中に相手を入れてしまうことであろう。片手取り四方投げや座技呼吸法は、この理合が分かりやすいが、正面打ち一教でも入身投げでも同じである。

型は、技を掛けるときだけのものではない、道場での立ち振る舞い、運足、膝行、入身転換、受身などなどにもある。

型は、電子部品の回路のようなものといえるだろう。いろいろな回路がある。礼、立ち坐り、歩行、膝行、入身、転換などの初心者が習う単純なものから、「ぶつかってぶつからない」ような精密複雑な「わざ」や技遣いまである。稽古はいろいろな回路を見つけ、それを立ち上げ、そして何度も電気を通して速度を早くし、性能を上げることだろう。上手いというのは、型の回路が沢山あって、そして、その回路の性能がいいということになるだろう。

まずは合気道の稽古で自分の型をつくっていくが、合気道で培われた型が日常の立ち振る舞いに現れれば素晴らしいだろう。やることはまだまだ沢山ある。